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2012/11/21

「障害者アート」はどこまで「コラボ」を可能にするのか

本日最終日だったアートビリティの展示に行ってきました。
http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/g8_exh_201210/g8_exh_201210.html

場所は新橋駅から徒歩数分の、クリエイションギャラリーG8というギャラリー。

アートビリティというアートバンクで活躍している作家さんと、グラフィックデザイナーさんのコラボレーション作品の展示です。
アートビリティという団体については詳細に紹介しません。下記URLをば!

▼アートビリティ
http://www.artbility.com/

もうね、一人で言ったくせに「すげえわー」とか言ってたただの不審者でした。私。
無料でこれはやばいです。行けなかった人、本当に残念すぎる。

ここでは「登録している作家のみなさんは、何らかのハンディキャップをもちながら、作品を制作しています。」との明記があります。
アートの分野では決して珍しくないでしょう。「エイブル・アート」という言葉を聞いたことがある人も多いかと思います。
障害者のアート作品ってのは、確かに個性が突出していて、見ていて驚かされるものばかりです。


こうした魅力的な作品を世に出していける何かしらのハンディを持った方々と、デザイナーとのコラボ、正直「やられたな」と思いました。
ただでさえ魅力的な作品が、芸術作品にとどまるでもなく、プロダクトにも使われる可能性を可視化したのかなと思うのです。


今回のアートビリティの作家さんの作品を見ていて、ハンディがどうとかは置いといて、「なんでこの線がかけるんや…」「なんでこの色使いができるんや…」という感想を持ちつつ、
これを更に組み替えたデザイナーさんとの作品が、また違う味を出している。確実に「デザイン」し直されている。これがまたうまいのです。しっかりその作品と対話して、何を組み替えるべきか、捉えてる感じ、さすがプロ。
でもやっていることは、その作家さんの作品を組み替えたり、位置づけたり、加えたり…と、とてもシンプルなんですよね。コラージュ作品のようなイメージです。
組み替え方でここまで魅力が増すのかーと思って居座ってしまい予定していた予定を切ることに。
(全然何も言えてないですね。こういう作品は言葉に出来ないということでご勘弁ください。笑)

こうして組み替えられたものを見ると、「あ、こういう作品ってこういうシーンで使えるかもしれないのか」という、具体的な生活シーンでの活用へイメージが生まれていく。
エイブル・アートがどこで活用されて、市場に出まわり、私たちの生活を豊かにしてくれるのか、考えが膨らみ、わくわくしてしまいました。
「障害者のアート」というハードルも低くなるし、アートに興味がなくても、市場に出回れば、興味のない人にも関心を持ってもらいつつ届くかもしれないし、なんだかわくわくしませんかね。


会場でアンケートに答えると、コラボ作品のブックカバーのプレゼントをいただけるとのことで、迷いに迷って選んできたのがこちらです。使うのもったいなさ過ぎてどうしよう。


エイブル・アートだけでも「やられた」と思うものが多いのに、アーティスト・デザイナーとのコラボで更に可能性が見えました。
単純にこの作品が生まれるプロセスはかなり重要だと思います。どういうプロセスで芸術作品が生まれ、かつその作品や作家さんとどうデザイナーさんが対話し、組み替えていったのか。「どこまで」それが可能なのか、考えて見る余地はありそうです。
同時に、今私が研究で扱うのは、このコラボレーションの「プロセス」をもう少し追ってみたいなという観点では近いなと思うのです。
今準備中の法人も、その部分に注目して、「どこまでコラボができるのか」を考えながら現場を生み出してみたいなと思っています。

 ▼

先述した通り、「ハンディのある人」という明記がありますが、逆に、これがハンディのある人の…という表記がなかったらどうなっているんだろうと、よく考えます。


こうしたいわゆる「障害者アート」というものを、世の人はどう捉えるか、何パターンかがあると思うのです。

1つ目は、純粋にアートが好きで、それらの作品に芸術作品として魅了されている人。
2つ目は、障害のある人の活動という観点で興味がある人。
3つ目は、障害者がこんな芸術作品を発信してすごい!という「障害ファースト」な人。
4つ目は、障害者のアートだからこそ興味がわかない人。
最後は、そもそもアートに興味のない人

ざっくりこんなかんじでしょうか。賛否両論あるかもしれないけどぱっと思いつくのはこんなかんじです。
1つ目の人はいいですよね。多分こういう展示があれば勝手に見に行くだろうと思うし、お金のある方は作品も買っちゃうでしょう。
2つ目の人は、アートというより「障害」「福祉」などのキーワードに関心がある人が多いのではないか、ということです。
3つ目の人は、詳しくは述べませんが、賛否両論問われる立場なのかなと思います。
4つ目の人は、「エイブル・アート」として発信されていることに対して何か思うことがあるのではないでしょうか。
最後5つ目の人は…言葉のとおりです。(笑)

これらの立場のどれが好ましい、ふさわしいか、ということを言いたいのではありません。
これらは個人的なことだと思いますし、作品のありかた、イベントの見せ方も様々であるので、どれでもいいと思いますし、イベントによって違うでしょうし、正直、誰にだってどれも当てはまると思うのです。全否定はできないと思います。


この5段階の人へのアプローチをどう考えるかってすごく重要だなとこの展示をみて思ったのです。
結構「障害者のアート」をどのように見せるかというのもそうですが、
「障害者のアート」に対する多くの人のイメージがどうなのかを探ることが単純に重要なのではと個人的に思うのですが、みなさんはどうですかね。
それは「障害者」という部分をとって、「アート」の文脈にも応用可能だと思います。「アート」に対してハードルの高い人は、何を「高い」と感じているのか。

とにもかくにも、見に行かれた方の感想、ぜひ伺いたいです。

さて、どうハードルを下げたかどうかを考える前に修論を書く必要があるので(笑)、続きはまたいつか。いつ書くかもわからないということで!

とにかく、すごく有意義でした。修論執筆における荒々しいメンタルをどうにかせねば…と思っていた所、とても刺激を受けました。
修論提出まであと50日くらいしかない。

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