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2014/06/18

講演を聞く人も、話す人も、講演を依頼する人も有意義な時間になるように。

手元の画面で私がどうしゃべっているのかが見られるカメラが!

立教大学火曜日2限、『ボランティア・「耕す知」と「共生」の探求』という授業で話題提供してきました。

初めて200人以上の学生さんの前でお話させていただく機会をいただきました。立教大学平野先生をはじめ、ボランティアセンターの中村さん、伊藤さん、宮嵜さん、他スタッフのみなさん、どうもありがとうございました。

この初めての機会が私にとって、いい意味で「失敗体験」でした。
この講義は、「全学共通カリキュラム」(≒一般教養)という枠組みの中で実施されている授業で、オムニバス型で毎週違うゲストが講演をしにいらっしゃいます。
私は特別に6月3日と10日の2週連続でお邪魔し、1週目は講演、2週目はワークショップを行うというご依頼をいただきおじゃましました。(これからもう1名の方による、2週連続企画があるみたいです)

大学の授業で呼んでいただけるようになって、話すことにちょっと慣れてきたと思ったら、そりゃもう撃沈でした。
こうした形態の授業は、想像以上に学生の授業そのものに対するモチベーションが決して高くない場合が多い。3,4年生で教養の授業なんて取る人はほとんどいませんし(今回も受講者層はほとんど1年生でした。当日知ったけど)。
それはどこの大学でも、モチベーションが高いことのほうが珍しいのではないかと思います。

教室に入った瞬間、内職のため、時間つぶしのための授業だと思っている雰囲気が漂っている。
何を投げかけても総スカンな感じがする。

教室は超暑いので、必死さも出る私。

(;; ꒪⌓꒪)←内心こんな感じ

甘かった。この雰囲気に、まんまと飲み込まれたと自覚しています。
面白かったと言ってもらえたものの、私個人としては大反省でした。この場を借りてお詫び申し上げます。

わざわざなんでこういうことを書いているかというと、授業という枠組みで講演をするのと、例えばTEDのように聴衆が主体的に申し込み参加するものとで、届け方を変えなければならないということを再認識したからです。
講演なんて基本的にコミュニケーションが一方向的なので、これって講義と何ら変わらないですよね。
それを大学の授業の中でやるわけですから、毎日喋る人が変わるだけであって、基本的に講演スタイルのものも一授業なんですよね。本当にごめんね。

あの経験以降、改めて聞いてくださる側の属性については徹底して聞くことにしました。届ける人に確実に届けたいという気持ちが強くなったからです。私も時間を無駄にしたくない。(とはいえ、教えてくれないもんなんですよね。依頼する側の方は、ぜひ以下の中原先生ブログをご参考に!)
 依頼する側になると忘れがちなのですが、たいていの場合、登壇する側は、オーディエンスの属性や会の趣旨を知りません。
 彼らは、何人いるのか?
 何歳くらいなのか?
 役職は?
 男女比は?
 既有知識はどのくらいあるのか?
 何に興味・関心をもっているか?
 なぜここに来ているのか?
 何をしたいと思っている人が多いのか?
(講演依頼は難しい!? http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/06/post_1513.html

プレゼンテーションのスタイルは、自分で作っていくしかないですが、スタイルは事前準備から形作らねばならないなと、とっても当たり前ですが、学習しました。
これからちゃんとプレゼンテーションのスタイルができあがってくるのだろうか。

講演を依頼する人、
講演を聞く人、
そして話す人(自分)、

それぞれにとって有意義な時間になるために、がんばらねば。

こうした貴重な学習機会をいただきました立教大学ボランティアセンターのみなさま、ありがとうございました。



ちなみに、立教大学での講演については、学生さんから感想文をいただいていたのですが、内容が学部ごとに傾向があり、すごく興味深かったです。


例えば法学部の学生さんの感想になると一気に漢字が多くなったり、言葉の定義について自ら考えていたり…
社会学部の学生さんになると、NPOのマネタイズの質問が突然増えたり…
頻出キーワードが学部によって異なっていたり。
学部ごとに関心があるのかな?って思うくらい違って面白かったです。

*余談*


講演失敗したなと自覚して、講演スタイルを大きく変えるかどうかを検討すべく、いろんなプレゼンテーション動画を見ていたのですが、引き込まれる「プレゼンテーション」って、多くは無いかもしれないなと思いましたが、
エクセルアートのまーちゃん(若宮正子さん)の話が圧倒的に面白かったです。ぜひぜひ。