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2011/12/04

映画「ちづる」のように、私が兄弟にカメラを向けなかった理由。


映画「ちづる」が全国ロードショーになって話題になっている。



「妹のことをどう説明したらいいかわからない。だから言葉で伝えるかわりにカメラを向けることにした。」

劇場公開の予定が決まらないうちにTV、新聞等マスコミでひと際注目を集めている作品がある。立教大学現代心理学部映像身体学科の赤﨑正和が監督したドキュメンタリー「ちづる」。自身の卒業制作として企画されたこの映画は、重度の知的障害と自閉症をもった赤﨑の妹・千鶴とその母を1年に渡り撮り続けた、みずみずしくも優しい家族の物語である。最も身近な存在でありながら正面から向き合えなかった妹にカメラで対話した監督は、映画を撮り終える頃、家族との新しい関係を築きあげている自分に気づく。作者の精神的な成長がいみじくも映像に刻印されてしまった稀有なドキュメンタリーの誕生。“若さ”が成し遂げた映画の奇跡がここにある。(公式HPより)

以前、旧ブログでこんな記事をかいた。旧ブログから記事を現ブログに移行してみた。
ドキュメンタリー映画「ちづる」とわたし。

実は、昨年、一般公開をされる最初のイベントに顔を出した。その時の記事です。
この映画のためだけにはるばる立教大学新座キャンパスに足を運んだのは良い思い出でした。
ヤマガタin立教 http://road2yamagata.blogspot.com/


その時にもこういうことを書いた。
「911の映画をやってるとき、終わった後ドキュメンタリーをとりたいとか、製作に携わりたい熱が出たんだけど
そのときに、実は真っ先に思いついたのが、家族のドキュメンタリーを撮ることだった。
結局研究活動からのアプローチをする事に決めたから、やめたんだけど。」

このときさらっと書き流してしまったので、この映画について改めて書き記すとともに、
どうして私が兄弟を追わなかったのかについて、振り返ることにした。

■この作品の魅力は「難しさ」

この映画の一番のウリ(誤解を招きそうだが)は
自閉症の女の子を、兄弟である監督が追ったということかなと思う。しかも、学生で。
確かに、前例はないのかもしれない。
しかし、これだけではもちろんないと思う。


以前とあるテレビ番組で、ある記者のお子さんが自閉症で、その家族のドキュメンタリー番組が放映されていたのを見た覚えがある。
恐らく30分か1時間くらいのもの。

確かに、あの番組とこの映画には明らかに違いがある。
それは、「ちづる」では撮影している本人が、編集に悩んだことが、映像から伺えるということだと思う。
キレイに収めようとしていないところが、魅力的だと感じる。
一つの「映画」だなあと思う。

さらに「難しさ」という魅力があると思っている。

まず「編集の難しさ」について。
様々なシーンを撮って、編集をする際に、どこをどう繋ぐのか、かなり苦悩したのではないかと思う。
これはただの映画ではない。主人公はちーちゃんであり、お母さんであり、カメラを向ける監督自身なのだから。
自分の家族を人に紹介することにもなる大事な作品である。
下手な編集をして、自分の家族について、誤解を与えまくる編集をしでかすかもしれない。
センシティブな編集へのセンスが求められる。

そもそも、「カメラワークの難しさ」もある。
重度の自閉症の人をカメラで追うことは想像以上に難しい。
私も兄が突然走っていなくなって急いで追いかけることは日常でもあった。
それと同じで、行動が読めないのだ。突拍子もない行動をとることは多々ある。
この映画の中でも、カメラのアングル無視して「追いかけている」んだなという映像が出てくる。

恐らく、私が実家でカメラを回すことになっていたら、「追いかけてる」×2人分というは容易に考えられた。
私の兄と弟は両方、まさに「ちづる」のちーちゃんと同じく、重度の知的障害に自閉症があるのだ。
2人分追うとか想像するだけで疲れる…
もちろん、多動の人ばかりではないのでここは誤解のなきよう。

一部ではカメラワークだのなんだのと作品のクオリティに対する批評もあるらしいのですが、
これはドキュメンタリーを専門で学んだ人も、カメラで追うの、難しいですよ。絶対に。
これを追えたということにまず価値があると思う。
それは、第3者でもなく、親でもなく、兄弟だから追えたとも思える。


■でも、この映画が「できた」理由

恐らく、撮るとなったら撮るし、編集せざるを得ないので、できることはできると思う。
でも1人じゃできない。

映画を観て以降、自分なりのこの映画についてもちょっとだけ調べた。

「ちづる」に出てくる張本人ちーちゃんは、とても絵がうまい。
どうやらこのちーちゃんの作品のサイトをお母さんが作っていたようだった。
この映画の中では、家族の中で、この家族の社会が完結しているように見えて、ただただ不安だったのだけど、全然発信型家族だった。
(映画しか彼らを知らないからそう思ってしまうんだろうな、反省)
そういう意味で、映画を今年のはじめに見たあとから、映画に対する印象は大きく変わった。
出演されているお母さんが本を出されていたのも、最近本屋でたまたま並んであるのを見つけて知った。
家族がこの映画に出演することにちゃんと了解していたんだなということがうかがえた。

あとはやっぱり大学がバックにあることだなと、単純に感じた。
「911の子どもたちへ」で弱かったのは、大学をバックにつけられなかったことなのかなと思う。
学生のマンパワーだけでない発信の力があったのは確かだろうなと思う。
ヤマガタin立教のなかでの上映というのも強みだと思う

つまり、どれだけ広く協力者を集めて、共感を集めて、力を集められるかということなんだと思う。
そして、いかに上手に発信するかということが大事なんだと思った。

まだまだできた要素はありそうなんだけど。すぐ思いつかないのでまた思いついたら書きます。


■私も家族にカメラを向けようと考えた、でも、やめた。

前に書いたとおり、もともとジャーナリストになりたかったこともあって
家族にカメラを向けることは結構前から考えていた。
自分の境遇を生かせるような教育ジャーナリストになるために、家族を撮ることは必然とも考えたこともあった。


ここで前に作った映画の話を挟む。
学生ドキュメンタリー映画「911の子どもたちへ」の撮影が始まって、
映画を撮る、人を追うという仲間の隣で、最後のプロダクションノートを書くために必死で毎日記録をとった。

「911の子どもたちへ」予告編



「911~」の撮影のクランクアップは、遺族の白鳥さんの取材だった。
白鳥晴弘さんは、息子の敦さんを9.11で亡くされた。
敦さんはあの当時、ツインタワーにいたと言われている。

宣伝プロデューサーとしての大仕事の一つであるプロダクションノート。
その一部でこういうことを書いた。

クランクアップは年が明けて2010年1月8日、日本人遺族の白鳥晴弘さんと監督の対談。藤田幸久議員のご縁により実現した対談では、1年前には想像もつかない画がそこに生まれました。本編にはありませんが、実は、別の日本人遺族の方に取材をお願いしたことがあります。しかし「見ず知らずの人にそう簡単に話せるわけがない」と断わられ、監督が数日間落ち込んでいるという場面もありました。よくよく考えてみると当たり前のことかもしれません。「相手の気持ちになっているつもりだったけど、それは『つもり』でしかなかった…」と言っていた監督がとても印象的で、同時に彼の心の変化を見た瞬間でもありました。
それでも遺族の方に話を聞きたいと思い、私たちは白鳥さんに交渉しました。遺族として、過去の悲しみについて見ず知らずの人に話をしたいはずがありません。それにもかかわらず、白鳥さんは亡くなられた息子さんの写真や、実際にアフガニスタンで行っている支援活動の写真などを見せてくださり、それらに対する想いを聞かせてくださいました。その後、監督が日記に書いていたことを一部転載します。
「9.11事件で息子さんを亡くされた白鳥さんを撮影したあと、なんだか空っぽになりました 。日本政府が今も何もしていないのにも関わらず、息子さんの突然の死を受け止めてアフガニスタンの子どもたちのために支援をはじめた白鳥さん 。今も変わらない息子さんへの思いには胸が締め付けられた。クランクアップにも関わらず全く喜べず、何とも言えない気持ちになる。」
9.11事件やイラク戦争についてほぼ無関心だった、ごく普通の大学生だった1年前の彼からは想像もつかないような言葉。このような彼の葛藤も、この映画からにじみ出ていることでしょう。


カメラを向けていた当時の武長直輝は、明らかに見た目は世間知らず(私も人のこと言えないけど)の映画オタクなチャラチャラした(見た目的な意味で)やつだ。(たけちゃんごめん!w)
政治にも関心がなかった。社会にも関心がなかった。そんなやつがこんなことを書いたという事実。

人の生を追うということ。そして、そこから滲み、惑う人の生が、体温が、そこにはあった。
ドキュメンタリーの魅力を身体で感じた瞬間だった。
「その人にカメラを向けること、そして、カメラを持つその人の生も見えるドキュメンタリー」という観点ではこの2つの作品は同じだなと思う。
クランクアップで白鳥さんの姿よりも、武長があの日以降、悩み続けていた事のほうが、私は印象的だった。それくらい、ドキュメンタリーの力は大きいということだ。上映会打ち上げのお酒は美味しくなかった。

私も身近に人を亡くしたあとだったので、より一層強く染み込んだ感覚だった。

私たち自身もドキュメンタリーを公開することで、新しい議論が生まれる。批判もあって当然だった。
でも、そもそも生まれなかった議論を生み出したという意味で、私たちは成果があったと思っている。
ドキュメンタリーの、そういう可能性を想い、私は家族にカメラを向けるかどうするかを考えた。

でも、ドキュメンタリーにはある種のデメリットがあった。
点で終わってしまうということだ。

人の生がある1点で終わってしまう。あのときカメラに収めた貴重なシーンも
カメラを向ける人の想いも、1つの作品として、完結してしまうのだ。
テープは何十本となり、何度も話し合い、みんなで悩んで意見をぶつけて喧嘩したこともそう。
それは永遠に続く、長い長い螺旋階段のようだった。
なのに、80分という、線のような点に収まってしまい、ここに次の螺旋はない。

そして、カメラを持つ「当事者」という人の発信による、その人への共感だけじゃ、私は満足できないんだとも感じた。
共感だけじゃ、次のステップにはいけない。

更に言うと、この映画を伝え続ける人がいない限り、広がらない。そこに仕組みを作ることは難しかった。
私達が人生をかけてこの映画を発信し続けるわけにはそもそもいかなかった。
この映画の場合はさらに、学生という強みを活かして宣伝をする仕組みではあったが、さらにその強みは弱みにもなる。
―私たちはいずれ学生ではなくなるのだから。

私は、紙縒りのように紡ぐようでもいいから、紡いで紡いでゆきたいと思った。
そこに、映画という手法は、私は合わないと思った。
そのかわり、「私が良いと思う場」を紡ぐ。それを生み出すためにまずは「研究する」という案が最浮上した。
これが大学院進学の決め手になった。
大学3年の時に真剣に考えた「大学院」という道を通った先の未来のプランを改めて考えときに、「就活はない。」と思って、4月に就活をやめた。螺旋のように、人を追うために。
そして今に至る。

私は確かに、兄弟児という「当事者」なのかもしれないが、その共感だけじゃだめだというプレッシャーのもとに研究をしている。
「あなたのお兄ちゃんと弟が、自閉症・知的障害者だから、社会的に価値がある。」そう思わるだけならば、それはそれで駄目だと思っている。
私がそういう家庭に育ったからこその経験の目を活かす。そのつもりで研究をしている。
そういう意味で、いろんな場所で起こっている交流及び共同学習の授業やワークショップで、何が行われているのか、何が起こっているのか、私は知る必要があるのだ。

何が起こっているかをもっともっと深く知るためには、カメラだけじゃ、見えてこない。
インタビューだけじゃ、見えてこない。
もう1ステップが、私には必要なのだ。


だから、わたしは、映画を撮らない。



だから、「ちづる」には感謝をしています。
こういう人がいるってことは、少なくとも私は、兄弟として励みになる。

長くなりましたが、みなさんも是非ご覧になって下さい。
ポレポレ東中野で今月は上映しているみたいです。

こんなことを、家に帰ってから考えていた。
まだまだ理由はありそうだし、考えは止まらないので、これが全てではないのでよろしくおねがいしますね。

あー大学院の課題がたくさんあるのに…研究ももっと進めねば!
つまり、がんばらないとね、私。ということ。

ちょっと人生が面白くなってきた感があるので、改めて考えてみました。

追記
怪しい映画でしたが笑 「911の子どもたちへ」予告編動画入れてみました。懐かしいなあ。

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