メニュー

2012/08/21

日本の英語教育における「抑圧者」は誰?―パウロ・フレイレについて学習しました

先日(8月7〜9日)、山内研の夏合宿に参加してきました。
合宿もM0から数えて4回目の参加でした。

今年の合宿先は函館。気候もよく(過ごしやすい!)お魚美味しい!という贅沢なラーニングツアー!
そういえば私、北海道も初めてだし、何より、これまで日本で行ったことある最北端は東京っていうなんとも言えない感じだったので(笑)、最北端更新しました!

函館山からの夜景はとっても素敵でした!



さて、山内研夏合宿は、毎年恒例の「古典とされている教育研究者(デューイ、ピアジェ、ヴィゴツキーなど)をレビュー」ということで、昨年はヴィゴツキーを担当しましたが、
今年はブラジルの教育者、パウロ・フレイレ(1921〜1997)を担当しました。

■パウロ・フレイレ(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AC

フレイレといえば、第三世界における識字教育の実践で有名な方です。
簡単に略歴や行なってきた実践をご紹介します。
(興味がなかったらすっとばしてください)





ブラジルの貧しい地域で生まれたフレイレは、1929年の世界恐慌を経験し、更なる貧しい生活を強いられました。
そんな中彼は大学を卒業後、ブラジルのレシフェという街で、「民衆文化運動」を組織し、斬新な識字教育を展開していきました。

簡単に説明をすると、文字の読めない農村の労働者に対し、厳しい境遇を対話の中で見つめさせ(意識化)、その社会を変革していくための力として言葉の読み書きを学んでもらう、というものです。
各地域のごとに20人ほどのグループ(文化サークル)をつくり、その中にファシリテーターの役割のような人(教育系の学生さんとかだったらしい)が入り、学習の調整者となります。
そして対話のフェーズから読み書きを具体的に学ぶフェーズへ移行する、という実践を多く繰り返し、ブラジルで展開させたという人です。
(45日間で300人の労働者が文字を取得したんだとか)

この実践を背景に、フレイレは対話の中で課題を見つけていく教育スタイルとして「課題提起型教育」を推奨していきます。
これの対となるかたちで、従来の教師から生徒へ一方的に知識を教える教育を「銀行型教育」(教師が生徒にただお金を預金する、というメタファー)として批判しています。

ブラジルは過去にポルトガルの植民地であったこともあり、政治的な権力者の力が強く、農民や労働者たちは苦しい生活を強いられていたようです。
その農民や労働者たちのことをフレイレは「被抑圧者」と呼び、被抑圧者たちは文字を「搾取されていた」というふうにフレイレは認識していました。
こうして文化サークルにおける対話を通した識字教育の中で、この「被抑圧者」たちが主体的に変革を起こし、「抑圧者」も「被抑圧者」も同等にその状況を開放していく世界を目指し、識字教育の実践を行ったようです。

1964年に起こったクーデターにより、フレイレは国外追放をされ、チリに亡命しますが、チリでも対話型の識字教育の実践に励み、この実践はUNESCOの識字教育の思想に影響を与えているそうです。





フレイレが行った教育実践は、まずは農民たちを、権力者とことばを共有できるレベルにして、同等になるためのアクションへつなげる、ということですかね。
社会問題色の強い対話から、読み書きをすることの大切さを感じさせ、学ぶモチベーションを上げ、社会に対する意識も同時に上げた、とも言えるかな。

つまり、フレイレはその社会的状況や文化に応じて、学習に対する意欲を上げる仕掛けをしたと考えられます。

でもこれをそのまま日本に持ち帰ったところで何の意味もないわけですよね。
ほぼすべての国民が文字を理解しているので、識字教育としてのアプローチは難しい。そもそも社会的状況も文化も異なります。


フレイレの紹介はここまでにするとして、この発表をしたあとの議論でこんな話題が出ました。

日本人が英語を苦手とする背景には、何か「抑圧されたもの」があるのでは、というもの。

英語を学ぶ必然性を感じさせない「抑圧者」が存在するとも考えられますね。

ふむー!確かに!
これについて私は特に考えさせられて、実は数日もやもや考えていたのです。
私の中高時代の英語学習に対する「抑圧者」は誰やねん…!!!!!(おい)
…でも別に「搾取されていた」わけじゃないんだよなー。
でも、対話の中で「文字(英語)を搾取されていたんだ!」なんて思ったら、
私の学習意欲は高まるのかしら…(´・_・`)ふう

ということを繰り返していました。(※個人的に危機感はもたないとですが!!)


ただ、一つ考えたのは、文化サークルが学習コミュニティとしてしっかり機能していたのではないか、そのコミュニティが機能することにより、「抑圧的状況」を打破した…とフレイレの実践に対して考えました。
学習者は対話によって課題を共有しているので、共に学習意欲が高まり、それぞれの学習を支えあうコミュニティができあがっていた。20人という規模感もちょうどよかったのでしょう。

さて、今の教育現場に「学習を支えあうコミュニティ」はあるのでしょうか。

フレイレの実践は「文字の読み書きできないとまじでやばい!」という危機感を煽らせていますが、日本人の多くはその危機感を感じられる環境にあまりないですしね。
危機感を感じさせない抑圧者は誰なんでしょうね。


「みんなの前でネイティブの発音とか恥ずかしいし、クラスの権力者みたいなのが馬鹿にしたりもするし、別に日本語で十分だし…」というようなこと、今でもありそう…。
英語はもちろん、他の学習においてもそう。
今の教育現場は「何かに抑圧されている」のかもしれないよなぁ…なんてことをつらつら考えたりしてました。
みなさんはどうですか?




フレイレの話に戻りますが、こうした「革命的」実践が生まれるまで、フレイレは農村地域をフィールドワークしてまわり、いろんな人と「対話」をしたようです。
やっぱり良い実践をするために、良い実践を届けるためには、その現地の状況を丁寧に調べることが必要だよなぁ、なんて当たり前っちゃあ当たり前なことを思ったのでした。
私もNPOでこれから実践をしていくにあたり、何が課題で、誰が何を求めているのか、どういうふうに提供したら良いのか、相手の状況を聞いて対話して、しっかり現場を見つめて、取り組んで行かねばと思ったのでした。

そして修論提出まで残り半年を切ったのでした…




2日目のプログラムでは「フレイレ山田」になりました。(笑)

■【エッセイ】問題の意味を可視化して学習の離脱を防ぐ
http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2012/08/post_389.html


■フレイレの実践について詳しく知りたい方はぜひこちらも読んでみてくださいね!




▼私のTwitterはこちら