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2012/06/20

Ba Design Lab「多様性を活かすワークショップデザイン」実践報告

ワークショップの公開研究会「Ba Design Lab」の第3回「多様性を活かすワークショップデザイン」を6月5日に、研究室の先輩である安斎勇樹さんと一緒に開催しました。

Ba Design Labとは、安斎さんの主催するワークショップの方法論に関する公開研究会です。ワークショップの熟練実践家や研究者をゲストにお招きし、ゲストトーク・事例の検討・参加者同士のディスカッションなどを通して、学びと創造の場をデザインするための新しい知見や仮説を生み出すことを目的としています。今回は共同研究をさせてもらっている間柄として、共催という形で関わらせていただきました。ありがとうございました*

今回のゲストとして、インクルーシブデザインワークショップの実践者である塩瀬隆之さん(京都大学准教授)、コメンテーターにコミュニケーション戦略プランナーの田井中慎さん、ツッコミ役としてラーニングデザイナーの大西景子さんをお招きしました。さらに約40名の参加者の皆さんにお越し頂き、学生スタッフのみなさんのお力も借りながら、無事に開催することが出来ました。

今回のテーマは「多様性」。ワークショップにおける「多様性」をキーワードにしながら、多様性を活かすためのワークショップの方法論をみなさんと探求しました。




参加者が集まるまで、塩瀬さんが即興でプチワークショップをしてくださり、会場を和ませる塩瀬さん。その後、研究会の前半は、「インクルーシブデザインワークショップ」を数多くしてきた塩瀬さんから、貴重(であり笑いの絶えない)な事例報告をしていただきました。
■インクルーシブデザインワークショップ:特異なニーズを持ったリードユーザー(エクストリームユーザー)を巻き込むことで革新的なアイデアを見出すワークショップのこと


また、 "How to kill diversity ?"という問いから、多様性を打ち消してしまうようなフレーズ、方法は何かを考えてみるプチワークも挟み、逆の視点で多様性を考えてみるなどしながら、会場は盛り上がりました。

後半では、企業で数多くのワークショップを実施しているコメンテーターの田井中さんから、塩瀬さんの報告を踏まえながらコメントや関連事例についてコメントをいただきました。誰しもがエクストリームユーザーになり得るということ、そしてその可能性を排除しないことが重要ではないか、とのご提案をいただきました。さらにツッコミ役の大西さんから「”塩瀬さんになってみるワークショップ”でもやってみる?」と、研究会全体の流れにツッコミをいただき、さらに会場はヒートアップ。





大西さんのツッコミを受けて、当初予定していたプログラム(質問を元にしたパネルトーク)を中止し、明日から使える技を盗むため、全体でディスカッションを自由に行うことになりました。さらには飛び入りで中原研究室の先輩でもある舘野さんからも“「多様性」とは、多様な人を呼んでくるということではなく、参加者の多様性を見出し活かす、そして多様性を見出すのを待つということなのではないか。” とのコメントもいただき、企画側、ゲストも含む参加者全員が純粋に「学習者」となった後半戦でした。







詳細な中身については、安斎さんの報告をお読みください*

▷安斎勇樹 ポートフォリオ ≫ Ba Design Lab「多様性を活かすワークショップデザイン」実践報告
http://yukianzai.com/blog/2012/06/16/299/


学校教育における「多様性」

インクルーシブデザインの手法は、特別なユーザーをデザイン過程に巻き込むことで、革新的なアイデアの可能性が生み出されることを目的とします。あえて「違い」を明らかにする、ということ。それに関して、少し立場を変えて、私の修士研究の対象が「小学生」ということもあり、「学校現場での『多様性』」について考えてみたいなと思いました。

先日ある講義で、『学年制』と『等級制』についての話になりました。この2つの違いを現代に例えて言うとしたら、学校(義務教育)と塾の違いが言えるかもしれません。日本の義務教育は、ある決められた歳の子たちを1つの学年として捉えます。例えば1年間不登校になってしまった子が、その1年間の勉強を学校で受けていなかったとしても、基本的には次の学年に進級できるでしょう。逆に多くの塾では、習熟度別の学習が行われます。いわば今の子どもたちは等級制と学年制のブレンド状態の中を生きているとも言える、という話です。

ここでは『学年制』、今の年齢主義的な学校現場について扱ってみようと思います。ほとんどの人は、学校ならではの「揃う」という環境に慣れてきたのではないでしょうか。制服を身にまとい、同じ教科書を使って授業をし、校則に従い行動するよう言われる・・・これはある意味「差異を隠す」とも言えると思います。先生も「みんなと同じようにしなさい」と指示をすればいいのだから指導しやすいでしょう。さらに、先生として務める友人が、このように学校が差異を隠すのは、集団行動しやすくするためだ、という考察を別のところでたまたましていたのを見て、なるほどなぁと思っていたのです。基本的にはそのほうが協同しやすいのは想像に難くないでしょう。

もちろん、これ自体は決して悪いことではないですが、そうすると、多くの学校現場では「差異を隠す」ことが当たり前の中で、突然「異質な人」との協同を強いられたとき、混乱が起こるのではないでしょうか。揃えることに慣れている先生だけでなく、児童生徒はどうしたらいいかわからない。だから間違った方法でどうにかしてしまう。これが、今の学校現場の「交流及び共同学習」の現状なのではとも考えました。(「交流及び共同学習」とは、障害のある子どもが普通学級の子供らと学習するものであり、学習指導要領にも記載されています。)

しかしこれからの時代、外国人も増え、簡単にはくくれない人がさらに増加し、まさに「多文化共生社会」になる。「バックグラウンドが多様な人たちと創造力を活かし、コラボレーションしてく場が増えていく」社会になっていくでしょう。だとしたら、いざ目の前に「異質な人」が現れて、協同しないとならないとき、どうするんだろうというのが、私の疑問でした。「できるのか?」と。

もちろん学校の環境も「多文化共生」になっていくでしょう。いくつかの揃える手段を用いても、「揃えることが難しい学校・教室」が、ますます増えるのではないか。それならば、インクルーシブデザインの考えや手法を用いたプログラムは学校現場にも必要になってくる。さらには、この多様性を受け止め、多くの場面で「コーディネーター」自身も今後求められてくるのではないでしょうか。つまり、インクルーシブデザインにおけるファシリテーション力のある人もますます求められてくる。

現に「特別支援教育コーディネーター」という制度もでき、「コーディネーター」はますます増加していくことが予想される。もっと言うと、様々な立場で「コーディネーター」が増えていく中で、コーディネーター同士の協同も求められていくようになるでしょう。

現に日本は今後国際化が進み、外国人の子どもも増え、障害のある子どもの支援をより考える上でも、「多文化共生社会」をどう構築していくかは重要な課題となります。そして文部科学省も「創造性」をキーワードとして考えていることがわかります。外部のコーディネーターと協力しながら、学校経営を考えていく時代はそろそろ当たり前になるのかな、なんてことを考えていました。




企画側として、横から研究会を見ていて、参加者のみなさんは、良い意味でもやもやして帰らえた方が多いような印象を得ました。「多様性」とは何でしょうか。安斎さんが「都合の良い多様性」なんて言葉を研究会後に言っていたのが個人的には印象的でした。それぞれみなさんの中に「都合の良い多様性」が存在しているでしょうし、それこそ「多様性」のマジックワードっぷりが、この研究会で改めて認識されたと同時に、そのマジックワードによって、「もやもや」を持ち帰っていただけたのかな、と思います。私自身も自分の「もやもや」を今後の場づくりに活かしていただきたいと思いました。

みなさんの「もやもや」はどんなですか?どんなことを考えましたか?ぜひ伺ってみたいです。お越しいただいたみなさま、ありがとうございました*

安斎さんの考察もぜひぜひお読みください!

▷安斎勇樹 ポートフォリオ ≫ Ba Design Lab「多様性を活かすワークショップデザイン」実践報告
http://yukianzai.com/blog/2012/06/16/299/