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2015/07/09

多世代が気軽に集まれる場所を実現するには?|文京区駒込「こまじいのうち」に行って来た!

先日、いつもお世話になっている近所のママと、「こまじいのうち行ってみたいよね」という話になり、予定を合わせて行ってきました。

「こまじいのうち」報告書をいただきました。


Facebookページ|こまじいのうち
https://www.facebook.com/komajii

社会福祉法人文京区社会福祉協議会|地域の居場所『こまじいのうち』
http://www.bunsyakyo.or.jp/volunteer/volunteer_event/v_event_20130807103300/


場所は駒込エリアの、富士神社の近所。

いつも出てくるあのイラストが、「こまじい」本人なのかとおもいきや「こまじい」は「こまごめのおじいちゃんちの略」とおっしゃっていたのが、オーナーの秋元さん。
確かに、秋元さんとイラストを見比べても、どうやら違うらしい。(笑)

当日のこまじいのうちは、モノで溢れかえっていて、玄関先まで雪崩れ込んでいました。
どうやら、翌日にバザーを予定していたとのこと。
1階には近所のおばあちゃまたちがくつろぎつつ、バザーの準備をしていました。
(家中がモノだらけになるほど、人がバザーで売るものを提供しているんだなぁとも思うとすごい)

お家はオーナーの秋元さんが相続されたお家で、昭和の戸建てらしい急勾配の階段や土壁が残っていて、小さなお庭やテラスもあり、昔懐かしい昭和の風景にトリップしたような場所でした。2階にお招きいただき、2階で秋元さんと近藤さんに、少しだけお話を聞きました。

「こまじいのうち」は、最初は高齢者向けに開かれた場所になったらいいなと思いから2013年10月にオープンした地域のゆるーい居場所。気づいたら地域の高齢者だけでなく、こどもたちも来てくれるようになっているようで、秋元さんは最近は近所のこどもたちに「こまじい」と呼ばれているそうです。(笑)1年足らずで3000人以上が訪れているこまじいのうち。小さい子供から、そのお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、大学生などなど、本当に「多世代」が集まっているようです。

秋元さん曰く、高齢者向けの居場所は意外となく、集る場所となると、特に何かプログラムが前提となる物が多くて、自分たちも行くのが億劫になるという人は多いはずとのこと。確かに、「何もしなくてよくて気軽に立ち寄れる場所」というのは、あまりないかもしれません。一方、ただ空間があるだけでは人は集まりませんが、人に集まってもらいたいのであれば、とにかくガチガチに組まれたプログラムを組めば良いというものでもないよな、と改めて気付かされました。それは「誰に集まってもらいたいのか」を考える先に見えてくるのかもしれません。

「地域密着型」実現の壁


地域コミュニティのあり方が薄れてきている中、「地域密着」をうたう活動が増えてきていますが、同時に、世代間交流が生まれない現状があります。例えばこども向けの施設ができても、近隣住民から騒音苦情が来るなども、その場所にいる人たちが相容れない何かがあるなと感じますし、顔が見える関係を作りたくて若い夫婦が自治会に入ったら、排他的な扱いをされるという話も聞きました。世代間に見えない壁はじわじわと高くなっており、「地域密着」にしたいけれど、できない世代間の壁は、ちらほらと見受けられるように思います。

一方こまじいのうちが、こうして安定して運営され、幅広い層から注目をされているのは、主催が「町会連合会」であることは、とても大きなポイントだと感じます。
こまじいのうちの主催は「駒込地区町会連合会」で、駒込地区の町会が連携して主催していることになっています。秋元さんを中心に自治会に親しい高齢者に理解を得ることができていることはとても大きいと感じました。

また、現在は近藤さんがボランティアとして運営に関わり、かわいいお子さんを連れてこまじいのうちに出入りをしています。秋元さんと近藤さんのコラボレーションがあって、子育て世代も気軽に出入りしやすくなっている印象を受けます。(私も、近藤さんが声かけてくれたので、気になって行けなかったところ、足を運ぶ気持ちになりました!)そして大学生の関与があるのも素晴らしいですね。

最後に秋元さんは、駒込地区の雰囲気がこまじいのうちが親しまれる理由の1つ、というようなことをおっしゃっていて、確かに、駒込地区の下町らしい雰囲気が、こまじいのうちを守ってくれている印象があります。こまじいのうちのような、昭和の懐かしさの漂う緩やかな場所が、どの地域にも合うわけではきっとなく、その地域性を考慮して作らなければ、「地域密着型」をうたっても、単なる自己満足になりかねないなと考えさせられました。

多世代が集まる家の実現は難しい

「子どもから高齢者まで、困っている人みんなが集まれる居場所を作ろう!」なんていう考え方では、すぐに限界が来てしまう。
そういう高い志はもちろん否定しないが、それを「ひとつの場」で実現するのは、難易度が高い。
来たい人だけ来ればいいんだ、とざっくりと思い切れればいいのだが、「どんな人でも」と丁寧にやればやるほど、大変になる。
また、そこを利用出来る人数、つまり規模的な限界も当然ある。
▶子どもから高齢者まで? 「地域の居場所づくり」の盲点http://osada.works/ibasyo/

こまじいのうちを見て、この記事を思い出しました。こまじいのうちは、「みんな」という対象を意識しつつ、ゆるやかに場をとりまとめる秋元さんや近藤さんのスタンスがすごくいいなぁと思っています。いや、内部の細かな運営で大変なこともあるかもしれませんが、いろんなところから視察に来るのもうなずけます。
もう少し、秋元さんや定期的に顔を出されてる人のお話を聞きたいなぁと思いました。

第2回ミライバの「いいおかさんちであ・そ・ぼ」とも比較しながら、考えてみたいです。

【開催報告】公開研究会「ミライバ」第2回:地域の子どもたちが集まるコミュニティ
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/2013/09/24/15.html


【追記1】

持ち家が社協さんやいろんな人たちが集まる場になっていることは理想的だと思いつつ、秋元さんが亡くなって以降も、この場所があるとは限らない。そうだ、ここは秋元さんの家だった。
秋元さんが、「自分が亡くなったら、どうなるかなぁ」とおっしゃっていたのも印象的でした。

【追記2】

今回、こまじいのうちの噂はずっと気になっていて、すごくすごく行きたかったけれど、なかなか足を運ぶことができずにいました。私自身も、近藤さんが関わっていることを知れて、「行く」と行動を追い付かせることができたように思います。
そうか、活動も緩い、居場所的な場は、イベントの「場」よりも属人性が強くなるのかもしれませんし、この属人性と場の作り方の関係性、濃淡などについて、もう少し考えたくなりました。


▼参考記事
個人の家を地域の人が集まる場にする。「こまじいのうち」のやり方
http://news.kaigonohonne.com/article/63


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