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2011/03/27

大学4年間について。

大学4年間が終わってしまった。 
年末の一年総振り返り、みたいなのをしないかわりに 
大学生活の振り返りをしようと思っていたので、さらっとしてみようと思います。 

4年前、早稲田大学教育学部に落ちた私は、 
高校の指定校がない穴場大学として、塾の先生に勧められた 
日本女子大学に通うことになった。

 
単位交換があること、早稲田にそもそも近い事、というのが最初考えた事で(笑)
幸い、3つ上に同じ高校でかつ同じ塾の先輩が家政経済学科にいたことと 
私が「教育×社会」という分野を勉強したかったうちの 
「社会」を補ってくれそうだから、という理由で、ぽんじょのかせけーに進学を決めた。 
その先輩とは今もとても良くしてもらっているが、彼女がいなかったら進学を決めなかったと思う。

「先輩」という存在は心強い。

一人暮らしに憧れていた田舎者の私だったけど、

寮に入れと、寮生活を強いられる事になった。
が、今となってはこの寮のみんなとの出逢いは 
大学生活においてかなり大きかったことを感じてます。 

それからは多くのコミュニティでお世話になりました。 
ちょっとしか顔出さなかったものとか、がっつり顔出したけどそんなに深められなかったものとか、

がっつり顔出して深められたところとか、思ったよりも深められた所まで、
様々ありますが、 
どの顔の自分も、断片的とはいえ自分であり、すごく勉強になりました。 


いろいろなコミュニティにお世話になってきて 
いろんな大学の人、いろんな社会人の人、たくさんであってきたけれど 
どんだけ悲しいときも、苦しいときも、最初に横にいてくれたのは 
泉山3階メンバー、ならびに寮で一緒だった学科メンバーでした。

みんなが寮を離れても、こうして過ごせることが何より嬉しい。 

私の大学生活での目標は、「世界」を広げること。 
そして、最後に「大学院合格」「母校でカタリバ」を成し遂げることでした。 

世界を広げる、とは、決して具体的な事象に留まらない。 

MFCでいじられていたときも、 
東学祭途中でいなくなったときも、 
椿山荘フォレスタでのバイトでの日々も、 
キャンスコ(学生新聞)の記事をNYで執筆したときも、 

京都大阪、西日本を1人でうろうろしたときも、 
初めて新幹線に乗って大阪に行った日も、 
ムーンパレスNYで白ワイン1本あけて記憶とばしたときも笑、 
すずかんゼミの発表でプレッシャーで泣いたときも笑、 
2回参加した教育フェスタからできた友だちと語った事も、 
911の子どもたちへを作りながら考えたり語ったり動いたりしたときも、 
藤森さんちで合宿した日々も、 
いなほで出会った人たちとも 
A-Listでインターン(というほど自分は何もしてない)していた日々も、 
大学院をうけると決めた勉強する日々も、 

まれびとハウスでたくさん五感を刺激されるときも、
教育実習でみた景色も、
母校でカタリバから「Kakujoyful」という仲間ができたときも、 
FLEDGEで勉強し、ディレクターを務めた日々も、 
鉄こべのバイトで学んだことも、 
(成田空港で地震にあってトゥと難民になったときも)

カタリバでない場所で語った日々も、  
そしてミモザ生活をしている今も… 

すべてすごく大切な出来事であったんだけど

何か具体的なコミュニティ、期間にいたからこそ得る事ができたこと、出会えて今でも仲良くしてくれている人がいることはもちろん、 

もっと違う、小さな日常的なできごとや、出逢いや、対話や、気持ちが 
行き交っていたことも、すごく幸せだったと感じています。 

そして出逢いは連鎖するのだなぁと 
今となっては当たり前すぎて何も感じなくなってしまっていたけど 
改めて、これまでの環境から見たらすごいことだったんだよな。 

くだらない恋バナも、将来の事や進路の事も 
好きな映画や本の話も、泣いたり笑ったりしたその時々が、愛しいなあと思うわけです。 

逆に言うと、いろんな顔の自分に疲れてしまった自分もいる。 
その状態を抜け出したくても抜け出せなかった自分がいる。 
過去の自分を人前でたたかれてどうしようもないときや 
いやでも頭を下げなきゃいけなくて悔しい想いをしたことだってある。 
意味わかんねーことで責められたりしたことも、 
誰にも相談できずにただただ落ち込む日々だってあった。 
誰もがそうなのだろうと思うのだけど、

でもそんな私をいろんな角度から見てくれたかけがえのない友人がたくさんいて 
嬉しいなあと思うのです。 

たくさんの場所でたくさんの人に
一緒に遊んでもらい、動き回ってもらい、語ってもらい、
本当に私の支えになってくれました。本当にありがとうございました。 

わたしは、初めて「卒業」という儀式が 
これほどまでに切なくて、寂しいと思った事はないなぁと感じました。 

大学生活4年間はとっても楽しかった。 
胸いっぱいになるほど幸せだった。 
だから、卒業式したかったなぁ。 

生まれた後すぐバブル崩壊で、経済的豊かさなんてよく知らない世代。 
「ゆとり」と言われ、高校では未履修問題に直面し、しゅーかつでは就職氷河期を経験。 
東北大震災の影響を受け、卒業式は中止。

 被災されている方々にはお見舞い申し上げます。 
88世代は何かあるのかもしれないね。笑


これからは「目白」から「本郷」へ拠点を移します。 
これまで4年間で拡散して行った「山田小百合」を 
こんどはその拡散した状態からほぼ1つにする。 
多分それが「自分がブランドになる」ということなんだと思う。 

まだまだLive politely, lifeにはほど遠い自分がいるけど 

そんな大学院生活にしたいと思っています。

どうぞこれからも、よろしくお願いします。 
卒業生、ご卒業おめでとうございます。 
みんなの門出がすばらしいものとなりますよう。