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2015/08/26

見えない人と落語をどう楽しめるのか|立川志の春さんの落語を聞きに行きました。

先日、立川志の春さんの落語を聞きに行きました。



ミライバでMozilla Japanの赤塚さんが来てくださった際、ご飯をご一緒させてもらって、何を間違えたのか、落語が面白いよ、という話になり、「行くとき声かけます!」と約束していたので、どこかで声かけたいと思い、やっと約束が果たせました。

もともと落語が好きになった、最初の最初のきっかけは、中原先生がブログで書かれていた記事でした。

わしゃわしゃ「子ども」が群れる正月!? : 堤未果(著)「沈みゆく大国アメリカ」と立川志の春著「あなたのプレゼンにまくらはあるか」書評
http://www.nakahara-lab.net/blog/2015/01/post_2328.html

この記事を読んで、その時気づいたら「あなたのプレゼンに「まくら」はあるか? 落語に学ぶ仕事のヒント」をポチっていて、後日読んでいたある日、たまたまCollableの事務局久保田舞(そして落語好き)に、「お昼に淡路町でワンコイン寄席やってるらしいので行きませんか!」と、たまたま声をかけてもらったのが、最初の落語体験で、それから、地味に月1回の頻度で落語を聞きに行くようになりました。

そして今月は念願の志の春さんの落語を聞きに行くことができました。「日比谷Tuesday Night Live火曜落語劇場」という、日比谷図書文化館の地下で、月1行われているものです。
今回の演目は「風呂敷」「だいじなもの」「唐茄子屋政談」。が初めてでも楽しめるものでした。
(帰りに、落語研究会とかやりたいね、なんて話で盛り上がりました。誰かぜひ企画しましょう!)



落語の魅力は様々あります。
師匠に重ねていくためにあえて自分を空っぽにしていく落語家の育て方とその哲学。
落語の由来とされる説話には、いろんな困った人が登場してきますが、そうしたモノの教え(説教)を笑いを使って伝えていくことで、困った人が、ちょっと愛らしくなる落語の優しさなどに、魅力を感じています。
こうした落語の文化醸成のあり方に影響されたのか、現在Collableの組織文化に影響するようになりました。(笑)

語れば長くなりそうなのでやめておきますが、落語の今後の可能性として注目していることとして、見えない人と共有ができる娯楽の1つであること。
落語は見えない人でも楽しめると聞きます。かすかな動き、かすかな声の強弱濃淡などの表現などが実に繊細で、言葉と雰囲気だけで、その様子が、見えなくても脳みその中で描けるそうで、実際に全盲の落語家さんも存在するほどです。
どこまで、同じ楽しみを、笑いを、共有できているのか、その世界を楽しむ瞬間を、あれからずっと考えています。

先日実施した、「まれ美ラボ in Todai|目が見えなくてもアートはみえる?視覚障害者と一緒にアート鑑賞!」もそうですが、耳から入る情報、体感する雰囲気を頼りに、どんな絵を見える人も見えない人も描くのか、それを共有する可能性を、さまざまな角度で共有する楽しみの可能性を、ますます感じているところです。
http://collable.org/marebi-lab

そんなわけで、見えない人が落語をどう楽しむのかが、最近気になるトピックで、視覚障害者と落語を楽しむ会とか本当はやりたいんですが、誰か興味ある人がいたらいいなぁ、なんぞ思っています。
(その後、落語家さんをCollableでもお呼びして、ワークショップできたらいいなぁという妄想までしていますが、まだまだ先のことになりそうですね。)

視覚障害があり、落語が大好きな知人の方が、早速一緒に落語に行きたいと言ってくれたので、「視覚障害者と落語」活動を、じわりじわりと企画したいなと思っています。
いろんな形の「多様性」の楽しみのあり方を、これからも追求したいと思っています。


・特定非営利活動法人Collable
http://collable.org/
https://www.facebook.com/collable

・gooddo:「応援する」をクリックして、応援おねがいします♪
http://gooddo.jp/gd/group/collable


(それから、今回は志の春さんに声かけられなかったけど、ますますファンになりましたし、次回は書籍読みました!とミーハーに声かけたいという欲がでてきました。
また行こうと思っています。)

(ブログが最近書けないのは、新しい場所にお引越しがしたいからなのだと思う。という言い訳…ちゃんとした自分のブログ用ウェブがほしいと思っています。誰か作ってくれぬだろうか…)

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