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2011/04/13

[読書]自分の小さな「箱」から脱出する方法

組織マネジメントを掛け持ちしている中で、さらに悩みが増えていた大学院試受験時。そんなとき先輩が紹介してくれたのがこの本。
そして、最近悩んでいたことを住人に話すと「コレ読むといいよー」と紹介された本。
1年越しの再会。ということで、読んでみました。
物語形式で綴られているので、イメージしながら読み進めやすい。
学生団体とかで悩んだ事がある人にはお勧めです。今のうちに読むべし、な本です。

確かに自分は「箱」に入りがちにはなっていたのかもしれない。ささっと読み進めて、途中のエッセンスをもう一度読み直すのがおすすめ。


要は、嫌な事があったら、まず自分を疑ってみろ、ということ。
具体的行動が書いてあるというよりも、誰かに対してイライラしたり、気に入らない事があったとき、まずは自分がどうだったのかという「考え方」を見直す本です。書いてある事は、当たり前っちゃあ当たり前なんだけど、なかなか難しくもあり、改めて気づかされるものだなぁと思います。


誰かに対してマイナスな感情を持っている状態の事を「箱」に入っている状態と表現しています。
しかし掘り下げて行くと、そのマイナスな感情の原因は「相手」ではなく「自分」だということがポイントかなと思います。その原理はどうぞ読んでみてください。


その「箱」をかぶった状態だと、相手に対して、「箱と」いうフィルターを通して解釈している。「箱」をかぶると、自分を正当化するような物事の見方になりがちになる。いくつもの「箱」をもつと、それ自体を自分の性格だと解釈するようになり、やがて相手にも「箱」をかぶせるようになってしまう。まるで共謀しているかのように、互いに相手を手ひどく扱い、互いに自分を正当化する…。


読んだ感想として、箱が多様であることは、自分という人間を多様に解釈されがちになって、自分が損をすることになるなぁ、とも思った。
この人は私の前では今はこういう一面がある、と認識できていなかったら、目の前の頭にくるようなこいつの性格そのものが○○や!と思われがちになる。これって、ものすごく怖い事だなぁと実感しました。
人は様々な人と毎日ふれあい、コミュニティに属していると、様々な顔があるように、箱も(中と外も)様々。

決して全ての人に同じ箱をかぶっている訳でなく、とある人の前ではAという箱をかぶっているし、またとある人の前ではBという箱をかぶっているし、さらにとある人の前では箱の外に自分がいたりする。
人はけっし「箱」を丸かぶりしているわけじゃなくて、とある人の前では自分を守るようにかぶっているけど、背中の方はかぶりきれてなかったりするのですね。
この考え方を誰もがするようになると、もしかしたら楽になるのかもしれない。


あと、ものすごく自分が何か刺されるような気持ちになるので(笑)早めに読んでおく事をお勧めします。
2回目読むときはエッセンスをもう一度見てみてください。


さて、印象に残ったところからちょっと違う話をしようと思います。


 目の前のにいる人々が常に持っている基本的な『他者性』、つまり相手は自分とは違う一個の独立した人間であるという事実と、目の前にいるのとは別の人たちとともに箱の外に出ているあいだに学んだこととが相まって、相手の人間性が、私たちの箱を突然突き通す瞬間があるんだ。  
 その瞬間に、自分が何をなすべきかがわかり、相手を人間として尊重しなくてはならないということがわかる。 
相手を、自分と同様きちんと尊重されるべきニーズや希望や心配ごとを持った一人の人間として見はじめたその瞬間に、箱の外に出るんだ


これは本の最後の方から引用した文です。
個人的な話で恐縮ですが、読んでいたときにこれって、中学〜高校時代の私の思考回路じゃねーか!と突っ込んでしまった自分がいました。
正確に一緒とは言えないのかもしれないけれど、例えば中学時代にクラスに友だちがいなくなったときや、誰かがしょーもないいじめを誰かにしていたのを見たときに
「学校の先生になる!」と言っている人が外見で人を判断していたり、障がいを持つ子をバカにしているのを見たとき
(決して私がコレに反していた良い子だったわけではないので、あしからず)
「この人はどんな人にも大事な家族がいて、愛する人がいて、って考えた事あんのやろか…」と思っていたのですよ。


そして、911の展示物をみた3年前とか、今回の震災の事もそう。
みんなには家族がいて、もしかしたらもしかしたら、どこかで血がつながっているかもしれなくて。そう考えると、これらのことを考えると、とても悲しくなるし、手をかしたいと思うでしょう。
そういう気持ちをふと振り返るような本でもあります。


話が変わりますが、先月「第3回ALL関東教育フェスタ」に参加しました。( http://www.edu-festa.jp/ )
そこで最初に講演してくださったのが「レモンさん」こと山本シュウさんでした。


→山本シュウさんHP http://www.yamamotoshoo.com/


シュウさんは若者よりもテンションが高かった…
その話はまたいつか、ということで、最後の方に話していた事がとても印象的だったのでその話をしたいなと。
彼は最初っから飛ばしていて「We are シンセキ~! 」と言ってました。笑 うるさい(笑)おっちゃんでした。面白かった。
要は、誰かにイライラしてもこの人は親戚や、血がつながっている人や、と思うことで、思いやりを持てるよって話です。
車が割り込んできても「もうーシンセキ〜何しとんねーん」って言っているそうです。笑


講演会が終わった後も一人一人学生に話しかけにきてくれてた。
ああいう姿勢をもった大人になりたいなーと思いました。なろう。




この人にも愛する人がいて、家族がいて、って考えると、ひどい事は言えなくなりますよね。 
人との付き合い方をもう一度振り返る機会になりました。




 
 

2011/03/27

大学4年間について。

大学4年間が終わってしまった。 
年末の一年総振り返り、みたいなのをしないかわりに 
大学生活の振り返りをしようと思っていたので、さらっとしてみようと思います。 

4年前、早稲田大学教育学部に落ちた私は、 
高校の指定校がない穴場大学として、塾の先生に勧められた 
日本女子大学に通うことになった。

 
単位交換があること、早稲田にそもそも近い事、というのが最初考えた事で(笑)
幸い、3つ上に同じ高校でかつ同じ塾の先輩が家政経済学科にいたことと 
私が「教育×社会」という分野を勉強したかったうちの 
「社会」を補ってくれそうだから、という理由で、ぽんじょのかせけーに進学を決めた。 
その先輩とは今もとても良くしてもらっているが、彼女がいなかったら進学を決めなかったと思う。

「先輩」という存在は心強い。

一人暮らしに憧れていた田舎者の私だったけど、

寮に入れと、寮生活を強いられる事になった。
が、今となってはこの寮のみんなとの出逢いは 
大学生活においてかなり大きかったことを感じてます。 

それからは多くのコミュニティでお世話になりました。 
ちょっとしか顔出さなかったものとか、がっつり顔出したけどそんなに深められなかったものとか、

がっつり顔出して深められたところとか、思ったよりも深められた所まで、
様々ありますが、 
どの顔の自分も、断片的とはいえ自分であり、すごく勉強になりました。 


いろいろなコミュニティにお世話になってきて 
いろんな大学の人、いろんな社会人の人、たくさんであってきたけれど 
どんだけ悲しいときも、苦しいときも、最初に横にいてくれたのは 
泉山3階メンバー、ならびに寮で一緒だった学科メンバーでした。

みんなが寮を離れても、こうして過ごせることが何より嬉しい。 

私の大学生活での目標は、「世界」を広げること。 
そして、最後に「大学院合格」「母校でカタリバ」を成し遂げることでした。 

世界を広げる、とは、決して具体的な事象に留まらない。 

MFCでいじられていたときも、 
東学祭途中でいなくなったときも、 
椿山荘フォレスタでのバイトでの日々も、 
キャンスコ(学生新聞)の記事をNYで執筆したときも、 

京都大阪、西日本を1人でうろうろしたときも、 
初めて新幹線に乗って大阪に行った日も、 
ムーンパレスNYで白ワイン1本あけて記憶とばしたときも笑、 
すずかんゼミの発表でプレッシャーで泣いたときも笑、 
2回参加した教育フェスタからできた友だちと語った事も、 
911の子どもたちへを作りながら考えたり語ったり動いたりしたときも、 
藤森さんちで合宿した日々も、 
いなほで出会った人たちとも 
A-Listでインターン(というほど自分は何もしてない)していた日々も、 
大学院をうけると決めた勉強する日々も、 

まれびとハウスでたくさん五感を刺激されるときも、
教育実習でみた景色も、
母校でカタリバから「Kakujoyful」という仲間ができたときも、 
FLEDGEで勉強し、ディレクターを務めた日々も、 
鉄こべのバイトで学んだことも、 
(成田空港で地震にあってトゥと難民になったときも)

カタリバでない場所で語った日々も、  
そしてミモザ生活をしている今も… 

すべてすごく大切な出来事であったんだけど

何か具体的なコミュニティ、期間にいたからこそ得る事ができたこと、出会えて今でも仲良くしてくれている人がいることはもちろん、 

もっと違う、小さな日常的なできごとや、出逢いや、対話や、気持ちが 
行き交っていたことも、すごく幸せだったと感じています。 

そして出逢いは連鎖するのだなぁと 
今となっては当たり前すぎて何も感じなくなってしまっていたけど 
改めて、これまでの環境から見たらすごいことだったんだよな。 

くだらない恋バナも、将来の事や進路の事も 
好きな映画や本の話も、泣いたり笑ったりしたその時々が、愛しいなあと思うわけです。 

逆に言うと、いろんな顔の自分に疲れてしまった自分もいる。 
その状態を抜け出したくても抜け出せなかった自分がいる。 
過去の自分を人前でたたかれてどうしようもないときや 
いやでも頭を下げなきゃいけなくて悔しい想いをしたことだってある。 
意味わかんねーことで責められたりしたことも、 
誰にも相談できずにただただ落ち込む日々だってあった。 
誰もがそうなのだろうと思うのだけど、

でもそんな私をいろんな角度から見てくれたかけがえのない友人がたくさんいて 
嬉しいなあと思うのです。 

たくさんの場所でたくさんの人に
一緒に遊んでもらい、動き回ってもらい、語ってもらい、
本当に私の支えになってくれました。本当にありがとうございました。 

わたしは、初めて「卒業」という儀式が 
これほどまでに切なくて、寂しいと思った事はないなぁと感じました。 

大学生活4年間はとっても楽しかった。 
胸いっぱいになるほど幸せだった。 
だから、卒業式したかったなぁ。 

生まれた後すぐバブル崩壊で、経済的豊かさなんてよく知らない世代。 
「ゆとり」と言われ、高校では未履修問題に直面し、しゅーかつでは就職氷河期を経験。 
東北大震災の影響を受け、卒業式は中止。

 被災されている方々にはお見舞い申し上げます。 
88世代は何かあるのかもしれないね。笑


これからは「目白」から「本郷」へ拠点を移します。 
これまで4年間で拡散して行った「山田小百合」を 
こんどはその拡散した状態からほぼ1つにする。 
多分それが「自分がブランドになる」ということなんだと思う。 

まだまだLive politely, lifeにはほど遠い自分がいるけど 

そんな大学院生活にしたいと思っています。

どうぞこれからも、よろしくお願いします。 
卒業生、ご卒業おめでとうございます。 
みんなの門出がすばらしいものとなりますよう。 

2011/02/12

ドキュメンタリー映画「ちづる」とわたし。


「ちづる」という映画を最近観た。
遅くなったけど、感想を載せてみようと試みたけど
全然まとまらないです。
あと主観たっぷりなので、さらっと読み流してください。

この映画のためだけにはるばる立教大学新座キャンパスに足を運んだ。
ヤマガタin立教 http://road2yamagata.blogspot.com/

ヤマガタin立教HPより引用↓

―――
立教大学映像身体学科卒業制作
赤崎正和 第一回監督作品
『ちづる』
2011/HDカム/カラー/70分/1:1.78
プロデューサー:池谷 薫(『延安の娘』、『蟻の兵隊』)

――妹のことをどう説明したらいいか、今もわからない。
だから言葉で伝えるかわりに、カメラを向けることにした。――

自閉症の妹・千鶴・・・。
それまで妹の障害に向き合うことを避けてきた兄は、
一年の撮影を通じて妹との距離を、
また自分自身との距離を計りなおしてゆく。
映画のしずかな展開とともに自身のまなざしの着実な変化を跡付ける、
みずみずしく、やさしい家族の物語。
―――


・映画を見に行った経緯と山田家と近い点

映画を知ったキッカケはTwitterで流れこんできたから。
ただ、それだけじゃなくて、なんか近いなーと思ったフレーズがちらほら見えた。

監督さんは、「以前は、知的障害と自閉症の違いも分からなかった」というし
―妹のことをどう説明したらいいか、今もわからない。
だから言葉で伝えるかわりに、カメラを向けることにした―

という部分も、どちらもシンクロした。

私も、兄弟の事を説明するには、どう説明したらいいかわからない。
でも、彼らのことをどうにか伝えていったり、少しばかり理解してもらうことを考えていた。

911の映画をやってるとき、終わった後ドキュメンタリーをとりたいとか、製作に携わりたい熱が出たんだけど
そのときに、実は真っ先に思いついたのが、家族のドキュメンタリーを撮ることだった。
結局研究活動からのアプローチをする事に決めたから、やめたんだけど。

―――
多分私の兄弟も、ちーちゃん(ちづるちゃん)と同じで
知的障がいと自閉症両方あるタイプで
ちーちゃんほどしゃべらない。

わが山田家の兄はしゃべるというか、叫ぶって感じで
何かを伝えたいときは指を指したり、腕を引っ張ったり、ときどきよくわからん文字を書いたりする。
弟は、必要なとき以外しゃべらない。前よりは知的レベルが上がっている事はわかってはいるのだが。

自閉症と知的障がいがどう違うのかななんて、ちょっと前まで私自身考えた事もなかった。
研究やりたいという気持ちになって、いろいろ調べて、初めて向き合った気がするもの。
今でも向き合いきれてはないと思うし、知らない事は山ほどある。

ひとくくりに「自閉症」と言っても様々で
よく動いてうるさい兄と
おとなしく絵を描いたりPCで動画サイトを見て楽しんだりしている弟と
ひっくるめて説明しろって言われても、姉であり妹である私でも難易度が高い。
映画に出てくるちーちゃんは、ある程度意思を口頭で伝えられるし。

このまとまらない感じ、生きてきた過程、多分通じるものがあるはず。
仲間がいる。

そんな気がした。

・映画の内容に関する事

自分の話はおいといて、実際の映画の中身について書いてみる。
時系列にざっくり振り返りつつ自分なりの感想を挟むという雑な事を試みます。すいません。

5年前、赤崎家のお父さんは、交通事故で亡くなったらしい。
母1人、自閉症の娘と向き合う。

ちーちゃんはどうやら口で意思を伝える事ができるようで、ところどころよくわからんことを言っているようにも見えるが、言葉でのコミュニケーションは割と出来る人のようだ。自分から言葉を発して意思を伝えてくるという点では、その点能力が高い。
ただし、知的障がいもどうやらあるっぽい。高機能自閉症ではない、かな。

ちなみに知的障がいを伴う自閉症をカナー症候群と言うそうです。
うちの兄と弟はカナータイプで、おそらくちーちゃんもカナータイプだと思われます。

ちなみに山田家の場合…
山田家兄:腕を引っ張ったり、何か示すものを指差したりしか意思を伝えられない。普段は叫んだりしてるくせに!笑 こっちが相手の意思を確認しようと思っても、こちらから相手へは伝えづらい。
弟:「お母さん」「さゆりちゃん」と一言声をかけたら「あれ!」「これ!」とか言ってきて、伝わったそぶりをすると「はい」とか言う。


内容に戻ります。

大好きなB級アイドルがもう芸能界を引退したにも関わらず、年賀状を出したちーちゃん。
返事が来ない来ないと気にしていた。
返事は来るわけもないのに、ちーちゃん宛にそのアイドルからお返事が来た。
と思ったら、実はその年賀状のお返しは、お母さんがそのアイドルになりすまして書いた年賀状だった。

そういうことを必要とすることもある。どうしても納得してもらうための裏工作みたいな事。
山田家でもごくたまにある。最近はないけど。多分、他の家庭でもやったことがある家庭はあると思う。
彼らは自分のこだわりが強いので、例えばちーちゃんみたいに返事がこないこないとずっとずっと気にしていることなんて、多分ざらだろうし。
(山田家でいうと、兄はいつも戦隊ヒーローシリーズの5人の色、赤、黄色、青とかの物を持ってないと落ち着かない、毎週ツタヤに行かないとかんしゃく起こすとか)

あと、ユニクロに行きたいちーちゃんが、お母さんの財布からお金を取ろうとして
お母さんと身体をはったけんかをするシーンがある。

わからない、うちの母親はたくさんの本を読んで
たくさんのことを試してみて、学び続けているんだなぁと感じていて
それでも体当たりなこともやってるなーと思うのだけど
ちーちゃんのお母さんのほうが体当たり感があった。がむしゃらっていうか。

そんで、ユニクロのシーンのところで、なんだか複雑な気持ちになってしまって。
最近ではいろいろなケアの事を独学ながら、さらっと漁る程度だけど学んでいたためか
もっとなんかできるやろうに…と思ってしまった。
なんであんなに体当たりなんや…なんであんなに感情的に対抗するんやろうか…みたいな。

それはお母さんの姿に批判しているというわけじゃなくて
もっと楽しく、楽に、生活できるような環境づくりができるのにな、ってこと。
少し前までは、感情が先走ってしまっていたのだけど
最近は冷静に物を見るようになったせいか、客観的にいろいろ言いたくなってしまう。

映画をみた感じ、お母さん楽しんでるっぽいからそれはそれで良いと思うんだけど
映画の中身以上に大変な思いをおそらくしているだろうことはだいたい想像できる。

でも、多分それは、私が兄弟に同じような人がいるからなんだと思う。
そんで、昔から関心があって、さらっとレベルで勉強していたからだと思う。

山田家も実家に帰るといろいろ進化していて
アニキにTEACCHができる職員さんが日中通ってる施設ではついてくれて
歯磨きの仕方の紙が絵付きで洗面所に貼ってあったり
陰ながらそういう努力している部分があって
もはや東京にいる私はついていけてないのだけど。

そんなシーンが印象的だった私は、映画の後のトークセッションでも、話が出たが
主人公は、ちーちゃんではなくて、お母さんだと、そんな気がした。

ちーちゃんは、確かに自閉症なんだろうけど、ふつーの女の子なんだよね。
破天荒な、というか。
気持ちはいつまでも小学生、くらいの。(若すぎ?)

そんで、施設に通いたがってなかったちーちゃんが、ある日デイサービスみたいなところに行く、と言い出したんだけど
結局1日で「行かない」と言い出してしまった。
そして、最後の方で「どうやら自分が『障がい者』であると気づいて困惑し始めている」らしいシーンが出る。
どうやら、養護学校でも不登校だったらしいし、「障がい者」を怖がっていたにもかかわらず、ということらしい。

結局、母と娘はいつまでも寄り添い合って、終わるんだよね。

社会と共存してほしいと思う家庭がきっと多いと思う。だって、親が先立ってしまったあとのことは不安だもの。

でも、そんなこと、ちーちゃんのお母さんは気にしてないように見えた。
いつまでも一緒なのかな、みたいな。

さっきも言ったけど、このお母さんの姿をみて、むしろ、この最後の方の展開をみて、お母さんが主人公だと感じた。
ちーちゃんはお母さんが頼りなんだけど、お母さんこそ、ちーちゃんを必要としてるのかな、って。

わかんない、ここからは勝手ながらの妄想だけど、お父さんが亡くなってから、少しばかりお母さんの中の心境の変化が、ちーちゃんとの付き合い方に影響している気がした。いや、少しばかりならしてるだろうと思う。
お父さんが亡くなったところの描写はない。一瞬の情報だけ。
でも、いつも一緒にいるちーちゃんが、お母さんの支えになっているのかな、って勝手ながら思ってしまった。

そう考えたら、どうでもよくなってしまって。

向き合い始めたんだな、おにいちゃんが。そんな映画。

自分の中でいろんな思いが交差して、混ざり合って、混ざり合えなくて、整理できないでいるんだけど

あの映画を、監督さんの友達がみて、その友達がみて、
関心のある人が見て、
新聞記事を読んだ人が見て
そうやって広がって行けばいいのかな。
身近にそういう人がいることで
何を感じてもらうのかな。
それを知りたい。

なんかそれを知りたくて、あたしも研究分野に足を踏み込む。

広がってくの、怖いけどね。
あたしだったら嫌だもんね。何言われるかわからないから怖いもの。

研究するにもそう。
自分の兄弟がカナータイプの人だと分類されていて
確かに一目会ったら「なんか違う」のは多分容易に分かる。
多分、去年大分カタリバの前夜にうちの実家でBBQやった人たちは感じたと思う。

東京でてきて以来、必要な人にしか、自分の家族のことは話さない事にした。
別に隠していたわけじゃない。言うタイミングがなかっただけ。
でもこれからは、思いっきり見せて行く覚悟である。

まとまらないけど、Twitterで話が流れて来たときに
自分と一緒の人がいる、と直感的に思った。
だからわざわざ1人で新座まで行った。

映画上映後、厚かましく話しかけに行った方がいいかな、と思ったけど
911の上映会やった時に、監督って大変なんだよなーって体感してたからやめた。
質問したけど、なんかガチすぎてしまって、引かれた気がしたし。

あと、どっちみち立教池袋キャンパスでも上映することになったらしくて
新座まで行った自分おつwとか思ったりしたけど
久々に長々と電車にゆられたし新座久々だったので、それそれでアリかな。

そんな感じです。
まとまってなくてすいません。
でも今まとまってたら恐ろしいわ。だからもう書いちゃったし載せちゃう。

久々に客観的に物事あえて見ないように、なんとなく注意したら、なんとなくへたくそな文章になってしまった。
たまにはありよね。そんな感じ。
きっと、私も自分の家族にそんな向き合いきれてないアンバランスな感じなんだと思う。

―――

最近。

*卒論書き終えました。
堀越先生がNPOの研究をやっているせいか、
当日発表資料を作るというだめだめ大学生だったにも関わらず
褒めていただけたのは、きっと奇跡です。

*M0発表会にて発表しました。
今年の4月からお世話になる大学院のゼミで、今後やっていきたい研究活動に関する発表を行いました。
さらには3月の合宿に向けて課題が提示されているため、現在課題のために調べ学習をしております。
緊張した!

*タイに行きたい
3月中頃暇な人、一緒にタイに行こう!いなかったら1人で行く!

さゆ