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2012/02/13

【実践報告】「インクルーシブデザインワークショップ:”ために”から”ともに”へ向かうデザイン」が終了しました!


2月6日に「インクルーシブデザインワークショップ:”ために”から”ともに”へ向かうデザイン」というイベントを開催しました。



インクルーシブデザインとは、高齢者や障害のある人など、特別なニーズを抱えるユーザがデザインプロセスに参加することでイノベーションを目指すデザイン手法です。

今回のこの実践は、研究室の先輩である安斎勇樹さんと、京都大学の塩瀬隆之先生、水町衣里さんとの共同研究として行いました。安斎さんのブログで当日のことがわかりやすくレポートされておりますので、当日のことはぜひこちらを読んでいただけたらと思います。
そして、今年の教育工学会(@長崎大学)で、今回のインクルーシブデザインワークショップで何が起こっていたかを発表できたらと思っております。どうぞお楽しみに!



私は何をレポートしようかなと思ったのですが、率直におもしろいなと思ったことをつらつらとお伝えしようと思っています。

インクルーシブデザインワークショップは、塩瀬先生(京都大学)を始め、九州大学の平井康之先生も実践されております。そもそもインクルーシブデザインワークショップも数多く実践されてはいませんが、お二人も西の方なので、意外と東のほうで実践されたことはあまりなかったようで、参加募集をかけたところ、一晩で定員を越えるお申込みをいただきました。さらに今回はリードユーザーさん(今回は見えない方5名)も含め、関東以外の方もいらっしゃったくらいです。これは本当に驚き。そして会場はおかげさまでぎゅうぎゅうでした。(すいません)


さらに驚いたことに、リードユーザーさん5名のうち、3名が盲導犬と一緒にいらっしゃいました。こちらは1名の方のみ盲導犬と一緒に来ることを事前にお知らせいただいていたので、まさか3匹になるとは…!塩瀬先生曰く、「盲導犬は一都道府県に20匹弱だから、3匹も同じ場所に集まるのは盲導犬協会以外では、どえらい珍しい現象」とのこと。そして福武ホールに犬が来るなんてことも初めてなのでは…。定員もかなりギリギリのなかのワークショップで、わんこちゃんたちにも窮屈な思いをさせてしまい申し訳ないなあと思っていたのですが、やっぱり盲導犬は優秀で、ずっとおとなしくしていました。可愛かったなあ。


ワークショップが始まってからのグループワークは、どのグループも活発で、見ているこちらが楽しみました。

今回のテーマは「絆創膏のデザイン」です。絆創膏1つを考えるだけでも実はとても深いのだなと思いました。

まずは行動観察。見える人も自分の絆創膏を使う行為をこれほどに観察して考えたことは無いでしょう。例えば怪我をした時に使いやすいかどうか、こういうものがあったらいいなということを考え、共有します。また、例えば、見えない人にとって、絆創膏の箱が「お菓子の箱なのか、触っているだけでは何の箱なのかわからない」という意見も出たりして、絆創膏一つとっても、いろいろな課題が見つかることがわかります。そしてグループメンバーの意見をまとめ、アイデアを共有します。


次にアイデアを実際に形にします。画用紙や絆創膏の箱、お菓子の箱などを使って、簡単な「試作品もどき」を作ります。プロトタイピングです。

そして最後にプレゼンテーション。演劇形式でプレゼンテーションを実施してくれるグループもあり、思った以上に盛り上がりました。


終了後は懇親会として、お話ししたい人は会場に残ってお話ししてもらうようにしましたが、みなさんなかなか帰らずワークショップ後も盛り上がっていたようでした。



インクルーシブデザインや、こうして目の見えない方を招いてワークショップをすると、なんとなく福祉色の強いように思われますが、デザインプロセスの大部分にユーザを巻き込む特徴的な手法は、クリエイティブなアイデアをデザイナにもたらすだけではなく、デザイナとユーザのあいだに共通言語を生み出す過程でもある(塩瀬ほか 2010)。と言われているように、この「インクルーシブデザイン」はもともと「ユーザー参加型デザイン」の考えに基づいていると考えられます。

これまでは「一般化されたユーザー像」を一方的にイメージし、そこに理想的・合理的な行為が仮定されてプロダクトが生み出されることが多くありました。すると、実在のユーザーが選択する行為との間に開きが生まれます。理想的なユーザー像を生み出す側が、一方的に頭の中で考え生み出されたプロダクトも、想像していたように使われないという残念なことも起こりうるでしょう。プロダクトを生み出す側にとっても、利用する側にとってもこれは悲しいことで、まさにディスコミュニケーションが生まれていると言っていいのではないかと思います。


こういったことが福祉の場面ではよく指摘されます。例えば点字ブロックもとりあえず設置すればいいという問題ではなく、ユーザーを一方的にイメージした設置によって、逆に事故を起こす原因にもなったりします。これでは本末転倒です。

そもそも「ユニバーサルデザイン(UD)」と「インクルーシブデザイン」の違いは何なのかということをよく尋ねられるのですが、その違いを体感できるのが、このインクルーシブデザインワークショップです。ユニバーサルデザインは、まさにある理想のユーザー層に向けてのデザインと言えます。実際に使う人との対話がないまま、一方的にデザインされたものが多かったのかもしれません。インクルーシブデザインが「ポストユニバーサルデザイン」と言われるように、デザインそのものの考え方も変化してきていると言えるのではないでしょうか。

ニーズを表現する『言葉』は、ユーザーがあらかじめもっているものでもなければ、デザイナやエンジニアの専門用語から誘導された言葉でもない(塩瀬ほか 2010)という指摘の通り、ユーザーのニーズはそれぞれ異なります。その言葉をまず共有することが、「ユーザー参加型デザイン」であり「インクルーシブデザイン」なのでしょう。

今回実施してみて、グループでのディスカッションも揺さぶられているようで非常に面白く、絆創膏のアイデアも様々でした。クリエイティブなアイデアを生み出す手法であることはもちろん、デザイナーとユーザーの間の共通言語を生み出す可能性を示してくれたように感じました。

そういう意味でも、今回のワークショップは安斎さんが研究テーマとしている創造性や創発的コラボレーションと、私の研究テーマであるインクルーシブ教育(実践)を足して2で割ったようなワークショップでした。



参加していただいたみなさんには、塩瀬先生の「おもろいファシリテーション」も体感できたことと思います!笑いが絶えずとても良い雰囲気で行なうことができたことが何より嬉しかったです。ご参加いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました!

*参考文献
塩瀬隆之, 鍵山康尋, 小林大祐, 水町衣里, 川上浩司(2010)インクルーシブデザインによる観光コンテンツの開発. 人工知能学会全国大会論文集(24).

2012/01/20

インクルーシブデザインワークショップ:”ために”から”ともに”へ向かうデザイン 参加者募集

※募集は締め切りました。ありがとうございました!

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インクルーシブデザインワークショップ:"ために"から"ともに"へ向かうデザイン

2012年2月6日(月曜日)11時30分〜17時
東京大学 情報学環・福武ホール B2F 福武ラーニングスタジオ1
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近年、様々なイノベーションの手法や新しいデザインの手法が模索されている中で、
「インクルーシブデザイン」という考え方が注目を集めています。

インクルーシブデザインとは、高齢者や障害のある人など、特別なニーズを抱える
ユーザがデザインプロセスに参加することでイノベーション(社会の革新)を目指す
デザイン手法です。

専門家だけではなく、多様な個性や能力を持つユーザーが製品やサービスの開発プロ
セスに参加することで、デザインはより幅広く、魅力的で、私たちの暮らしに変化を
もたらすことが期待されます。

どんな人にとってもやさしく、使いやすい製品やサービスが存在するに越したことは
ありませんが、<助ける人―助けられる人>という一方的な支援関係のままでは、デザ
イナーの先入観を越えるようなデザインの革新は生まれません。
"ために"から"ともに"へ、ユーザーの位置づけが変わらなければ、ユーザーから導か
れる言葉もまたデザイナーの価値観を揺さぶるほどの力をもつことはないのです。

今回のワークショップでは、コミュニケーションデザインの専門家である京都大学
の塩瀬隆之先生をゲストにお招きし、インクルーシブデザインプロセスを体験しな
がらその考え方を学びます。

イノベーションやデザインの手法に関心がある方、お気軽にお申し込み下さい!


○ゲスト
塩瀬隆之さん(京都大学総合博物館 准教授)
黙して語らず、されど師匠から弟子に伝わる技の伝承から始まり、視覚に障害のある
人との言葉でみる美術鑑賞まで、一見して難しそうなコミュニケーションの研究を通
じて、「伝わるとはなにか」の本質に関心をもつ。現在、高齢者や障害のある人をも
のづくりプロセスに巻き込むインクルーシブデザインのワークショップを50回以上重
ね、「ために」から「ともに」へと社会が変わるコミュニケーションの場づくりを実
践する。立場や能力、文化の異なる人々が、お互いを高めあい、豊かに成長できる社
会づくりの作法を学ぶ上で、インクルーシブデザインの手法が示唆に富むとして、そ
の紹介を続けている。


○企画・運営
安斎勇樹(東京大学大学院 学際情報学府 山内研究室 博士課程)
1985年生まれ。東京都出身。私立武蔵高校、東京大学工学部卒業。
実践活動と連携しながら創造性とワークショップデザインについて研究している。

山田小百合(東京大学大学院 学際情報学府 山内研究室 修士課程)
1988年生まれ。 大分県出身。日本女子大学家政学部家政経済学科卒業。研究テーマ
はインクルーシブ教育における学習環境デザイン。障害のある子どもの交流及び共同
学習を促す芸術活動のワークショップについて研究している。今夏に実践・研究活動
を繋ぐためのNPOを設立予定であり、現在登記準備中。


○日時
2012年2月6日(月曜日)11時30分〜17時(11時15分開場)
※当日はランチやドリンクをこちらでご用意致します。

○場所
東京大学 情報学環・福武ホール B2F ラーニングスタジオ1
※会場まで直接お越し下さい。

○定員
16名 ※定員になり次第締め切ります。

○参加費
1000円(ランチ・ドリンク代として)

○参加方法
※募集は締め切りました。

対象テーマに関心のある方であれば、どなたでもご参加ください。

○参加にあたってのご注意
本ワークショップの様子は写真や映像で記録させて頂きます。
写真記録はブログなどで実践報告として掲載する場合があります。

○主催・共催
主催:東京大学大学院 学際情報学府 山内研究室
共催:INCLUSIVE DESIGN NOW 実行委員会・京都大学総合博物館

2012/01/14

博士課程に進学するのをやめました。どうやらNPOを設立します。

ご無沙汰してます。まずは新年のご挨拶を。
2012年もどうぞよろしくお願いします。

2011年を振り返るときに、ふとディズニーランドのスペースマウンテンに最初で最後に乗った時のことを思い出しました。(大学1年のときに初めて行って以来、ランドには行ってないのだけど。)
真っ暗な中で、突然見えない乗り物が、想像以上のスピードで走り出す。どこに転がるかわからないまま、速度だけは落ちないどころか速くなり、自分の位置を把握できず、気づけば止まってた。
うん、2011年のさゆちゃむは、スペースマウンテンに乗った気持ちです。

大学4年間のときとは明らかに違う経験をさせてもらった1年でした。
1〜3月は卒論を書いていて、山内研究室のM0発表会をやって、そのあとのALT合宿。返ってきて次の日@s_twtyとのタイ旅行予定のはずが、断念。
記憶に新しい東日本大震災のその日その時間、成田空港にいたので、まさに空港難民でした。
そのあとの生活は怒涛の日々でした。

マルチタスクという観点ではかなりマルチではなくなりました。映画とワークショップとカタリバと卒論と教育実習と院試の勉強と…とかいう日々だった去年よりはかなりシンプルタスクです。
「最近おまえ、何やってんの?」と学部時代に知り合っていた友人・知人に聞かれても「研究と授業…」としか答えられなかった。今もそうなのですけどね。

2010年のマルチタスクっぷりときたら、当時の私のなかの史上最強だと思っていたけれど、感覚としては余り変わらないどころか、むしろ今マルチじゃないこの生活のほうがはるかに息切れの連続でした。脳みそがぜーはーぜーはー言っている気がします。

現在、障害のあるこども(今の研究では主に自閉症児、知的障害児を指す)とそうでない子どもが学び合う、芸術活動をとりこんだワークショップについて研究をしています。(2012年1月現在。笑)

大学院生活はこの研究を大きな柱としながらも、さまざまな小さな要素が絡み集まっていて、それらを同時並行で走らせているような生活です。それが辛いと言うより、その一つ一つに対して脳みその使い方が違うというか、今まで使ったことない使い方をしているんですよね。ラジオでも言ったけど、身体も脳も両方が汗かいてるんです。
結果が出ないんじゃないかと思って苦しい思いをするのだけど、それはそれで充実してます。息抜きも一応してる。

そんなわけで、先日@VJtakaさんのネットラジオ番組に、約2年ぶりに出演しました。
http://voicejapan.tv/
番組アーカイブです。150人以上の方が見てくれていて嬉しい。よかったらぜひ。
http://www.ustream.tv/recorded/19137437

その時に、こういうことをお知らせしたのだけど、そう。

今年の夏を目標に、NPOを立ち上げることになりました。
今の研究を、人に直接届けるための、特定非営利活動法人を設立します。
もちろん、私が設立するので、私が代表理事です。

つまり、博士課程に進学するのを、やめました。



大学院進学で山内研究室にお世話になることが決まった時、ここの研究室で面白い成果を出して、博士課程でもお世話になって、博士をとったら(またはその途中)で何か組織を立ち上げて研究を届けたい。
そのつもりで大学院生活を送っていました。入試のとき、「博士課程に進学希望です」と言ったことは本心でした。

私の研究は、いわゆる「インクルーシブ教育」の中に位置づけられます。(この概念が大きすぎるので、本当はもっと小さいものにしたいのだけど、いい文言が見つからず。つくっちゃおうかな。)
多様なバックグラウンドをもつ人が、ある1つの場所に集まり、その中で「何かを学ぶ」というもの。
海外では障害の有無にかかわらず、文化や国籍、宗教や家庭環境など、「さまざまなバックグラウンド」の違う子どもが同じ場で学ぶということが起こりやすいため、この「インクルーシブ教育」という考え方が浸透しています。世界的な動きもあり、障害のある子どもも、他のこどもと離れっぱなしじゃなくて、一緒にできる学習や活動は一緒にしていこうねという考え方となり、学校現場や学習環境、制度も変化してきています。
いわゆる「特別支援学校(学級)」も、次第に減少してきているのです。

ところが現在の日本をみると、世界の動きと逆行し、「特別支援学校(学級)」は増加傾向にあります。重度の子どもはもちろんのこと、ちょっと気になる傾向にあるとすぐ距離をおく傾向にあります。今、日本では世界と逆行しているようなことが、メインストリーミングになってきています。

「一人ひとりのニーズに合わせた教育」という観点では、2つは同じ理念を持っているはずなのですが、現実をみると、始点の位置はほぼ同じなのだけど、同じ方向にベクトルが向いていない様子です。



こうした現実に直面しているさなか、私がこのまま「インクルーシブ教育研究」を行うとして、博士をいただいたとしても、現実的に就職先はないでしょう。
かといって、人生を賭けに大学院進学を決めたところもあり、今更就職活動をする気なんてさらさらなかった。

そこで、先生がご提案をしてくれたのが、NPOという第3の道でした。

1ヶ月、多くの人にご相談させていただきました。
何より、プロジェクトマネジメントやリーダーシップなど、そういうことを経験することが多かった私は、今は研究活動に没頭したかった。もう何かをマネジメントすることはいっときおやすみでいいと思っていたのです。地道に頭を使うこと、トレーニング期間のつもりで修士課程にきた。だから、余計なことはしないつもりだった。

そんななか、またマネジメントについて考えるときがきました。
NPOやります!となると、いわゆる会社を立ち上げることに変わりはないので、人生に関わる、私が生きていく上での大きな決断になる。
とはいえいきなり「NPOやります!」と言った所で、団体としてのビジョンや方向性は、もちろんない。

しかし、多くの人が、私の研究を応援してくれるという立場で「絶対にやったほうがいい」「さゆちゃんだからこそできるんだから」「協力するよ」と、背中を押してくれる言葉をかけてくれました。
多分、博士課程に進学するタイミングだと、こんなに声をかけてくれる人はいなかったと思う。
そして、現在も山内先生を始め、NPOをやってる友人知人や恩人などなど、いわゆる「せんぱい」がいろいろ教えてくれる。

人生はタイミングというけれど、こういうことなのかもしれないなって、1ヶ月悩んで、やってみるか。と決断しました。

つまり、博士課程には進学しない。そのかわりにNPOで研究と実践をすることになります。



研究は大学院でするものだと思われていますが、アメリカなどではPh.Dを取得したのち、NPOで働く人も多いらしいんですよね。NPOが研究機関として成り立っていたり。
そのようなモデルを参考にしながら、今のように、研究活動を継続させる形になるでしょう。

何かしら実践現場をもちながら、研究活動と実践活動を並行して、組織の中でもがいて、多くの人を巻き込んで、声を聴いて、そうした相互作用の中で新しい学びの場をみつけて、生み出して、多くの人に届けたい。
それが、実践だったり、論文だったり、本だったり、声だったり、なんでもいいのだけど、わざわざ人生賭けて研究しに来てるのだから、実践だけでもいやで。かといって、論文だけでもどうせいやなんだから、両方できるNPOを作ればいい。そこを私のLabにすればいい。そう考えて今準備しています。多分、この分野、新しく開拓しないときっと難しいんだと思うんです。笑 (いわゆる破壊的イノベーションかも。言い過ぎか。)

そうとは言っても、大学院での研究も未練たらたらなんですよね。笑 だって、先々は大学で教鞭とりたいと思っていたのだから。
でも、先々組織が落ち着いてきたら、研究も溜まってきて私の目も養われているはずなので、そのあと博士課程にお世話になるかもしれない。それに、もしかしたらこのまま論文を出し続けて、博士課程に進学せずとも業績が認められて、大学で教鞭をとることがあるかもしれない。
NPOやそれにまつわる新しい分野のことも教鞭とれるようになりますしね。



どんな人にも、かけがえのない大切な人がいて、支えあったりとか
どんな人からも、おもしろい気付きを得たりとか
何者かわからない人と、何かを分かり合った時とか
それに障害があるとかないとか、関係なく、みんなこういうことがあるはず。

そういう「なにか」を言葉にしたい。共感できる感情をシェアするに留めるのではなくて、研究活動は、そういう「届けるべきものを具体的な言葉にする」という大切な活動であると思います。
それは、理系だとか文系だとか、分野が何だとか、関係ない。


わからないことを組織で探していく。そういう研究発展型NPOにしてゆくことになりそうです。

今まで出てきたNPOとはまた違う、研究者としての強みを生かした、日本では新しいNPOのスタイルになると思います。
NPOという存在がこれだけ注目されてる現代において、NPOを立ち上げるということは決して楽ではないですが、NPOという組織における可能性の広がり方は凄まじいものだと想像しています。


とはいえ、まだまだ白紙の状態です。現在行っている勉強会 S.inc の仲間内でミーティングしたりしているところです。



スケジュールとしては、今年の夏に団体が出来上がってる状態です。そのスケジュール感だと、4月には申請を出すことになります。
そしてその後は修士論文を執筆し、そのまま卒業。来年大学院を卒業したら、本格的にNPO代表理事の生活になる予定です。


とにかく、今の研究活動が、持続的に出来る環境に身をおくための、そして、研究を届けたい人へ届けるための最善の選択なのかなと思っています。


山内研究室を知った時に、先生が大学院で研究と指導と並行してNPOをもっているという働き方を同時に知って、「そう、こんなふうに働きたいんだ!」と思っていたので、山内研究室の一員なのがほんとうに嬉しい。学びにあふれていて、私自身いいなと思うことはどんどん盗もうとしている。今までの学びは本当に生ぬるかったのかもと思うくらい、日々気付きがあふれています。
憧れの働き方に一歩近づくことにもなるし、直接ご指導していただけるので、こんな幸せなことはないのかもしれないですね。

と、考えてるのもきっと束の間。きっと、これからが大変になる。
研究者である人の、創職とはこういうことかも。
研究者の働きかたとして、新しいロールモデルのなれるといいなあ。

きっと足りないこともあるでしょうが、ぜひ、叱咤激励ご支援のほど、よろしくお願い致します!

NPOの名前、早く決めたいな♫

山田小百合

2011/12/04

映画「ちづる」のように、私が兄弟にカメラを向けなかった理由。


映画「ちづる」が全国ロードショーになって話題になっている。



「妹のことをどう説明したらいいかわからない。だから言葉で伝えるかわりにカメラを向けることにした。」

劇場公開の予定が決まらないうちにTV、新聞等マスコミでひと際注目を集めている作品がある。立教大学現代心理学部映像身体学科の赤﨑正和が監督したドキュメンタリー「ちづる」。自身の卒業制作として企画されたこの映画は、重度の知的障害と自閉症をもった赤﨑の妹・千鶴とその母を1年に渡り撮り続けた、みずみずしくも優しい家族の物語である。最も身近な存在でありながら正面から向き合えなかった妹にカメラで対話した監督は、映画を撮り終える頃、家族との新しい関係を築きあげている自分に気づく。作者の精神的な成長がいみじくも映像に刻印されてしまった稀有なドキュメンタリーの誕生。“若さ”が成し遂げた映画の奇跡がここにある。(公式HPより)

以前、旧ブログでこんな記事をかいた。旧ブログから記事を現ブログに移行してみた。
ドキュメンタリー映画「ちづる」とわたし。

実は、昨年、一般公開をされる最初のイベントに顔を出した。その時の記事です。
この映画のためだけにはるばる立教大学新座キャンパスに足を運んだのは良い思い出でした。
ヤマガタin立教 http://road2yamagata.blogspot.com/


その時にもこういうことを書いた。
「911の映画をやってるとき、終わった後ドキュメンタリーをとりたいとか、製作に携わりたい熱が出たんだけど
そのときに、実は真っ先に思いついたのが、家族のドキュメンタリーを撮ることだった。
結局研究活動からのアプローチをする事に決めたから、やめたんだけど。」

このときさらっと書き流してしまったので、この映画について改めて書き記すとともに、
どうして私が兄弟を追わなかったのかについて、振り返ることにした。

■この作品の魅力は「難しさ」

この映画の一番のウリ(誤解を招きそうだが)は
自閉症の女の子を、兄弟である監督が追ったということかなと思う。しかも、学生で。
確かに、前例はないのかもしれない。
しかし、これだけではもちろんないと思う。


以前とあるテレビ番組で、ある記者のお子さんが自閉症で、その家族のドキュメンタリー番組が放映されていたのを見た覚えがある。
恐らく30分か1時間くらいのもの。

確かに、あの番組とこの映画には明らかに違いがある。
それは、「ちづる」では撮影している本人が、編集に悩んだことが、映像から伺えるということだと思う。
キレイに収めようとしていないところが、魅力的だと感じる。
一つの「映画」だなあと思う。

さらに「難しさ」という魅力があると思っている。

まず「編集の難しさ」について。
様々なシーンを撮って、編集をする際に、どこをどう繋ぐのか、かなり苦悩したのではないかと思う。
これはただの映画ではない。主人公はちーちゃんであり、お母さんであり、カメラを向ける監督自身なのだから。
自分の家族を人に紹介することにもなる大事な作品である。
下手な編集をして、自分の家族について、誤解を与えまくる編集をしでかすかもしれない。
センシティブな編集へのセンスが求められる。

そもそも、「カメラワークの難しさ」もある。
重度の自閉症の人をカメラで追うことは想像以上に難しい。
私も兄が突然走っていなくなって急いで追いかけることは日常でもあった。
それと同じで、行動が読めないのだ。突拍子もない行動をとることは多々ある。
この映画の中でも、カメラのアングル無視して「追いかけている」んだなという映像が出てくる。

恐らく、私が実家でカメラを回すことになっていたら、「追いかけてる」×2人分というは容易に考えられた。
私の兄と弟は両方、まさに「ちづる」のちーちゃんと同じく、重度の知的障害に自閉症があるのだ。
2人分追うとか想像するだけで疲れる…
もちろん、多動の人ばかりではないのでここは誤解のなきよう。

一部ではカメラワークだのなんだのと作品のクオリティに対する批評もあるらしいのですが、
これはドキュメンタリーを専門で学んだ人も、カメラで追うの、難しいですよ。絶対に。
これを追えたということにまず価値があると思う。
それは、第3者でもなく、親でもなく、兄弟だから追えたとも思える。


■でも、この映画が「できた」理由

恐らく、撮るとなったら撮るし、編集せざるを得ないので、できることはできると思う。
でも1人じゃできない。

映画を観て以降、自分なりのこの映画についてもちょっとだけ調べた。

「ちづる」に出てくる張本人ちーちゃんは、とても絵がうまい。
どうやらこのちーちゃんの作品のサイトをお母さんが作っていたようだった。
この映画の中では、家族の中で、この家族の社会が完結しているように見えて、ただただ不安だったのだけど、全然発信型家族だった。
(映画しか彼らを知らないからそう思ってしまうんだろうな、反省)
そういう意味で、映画を今年のはじめに見たあとから、映画に対する印象は大きく変わった。
出演されているお母さんが本を出されていたのも、最近本屋でたまたま並んであるのを見つけて知った。
家族がこの映画に出演することにちゃんと了解していたんだなということがうかがえた。

あとはやっぱり大学がバックにあることだなと、単純に感じた。
「911の子どもたちへ」で弱かったのは、大学をバックにつけられなかったことなのかなと思う。
学生のマンパワーだけでない発信の力があったのは確かだろうなと思う。
ヤマガタin立教のなかでの上映というのも強みだと思う

つまり、どれだけ広く協力者を集めて、共感を集めて、力を集められるかということなんだと思う。
そして、いかに上手に発信するかということが大事なんだと思った。

まだまだできた要素はありそうなんだけど。すぐ思いつかないのでまた思いついたら書きます。


■私も家族にカメラを向けようと考えた、でも、やめた。

前に書いたとおり、もともとジャーナリストになりたかったこともあって
家族にカメラを向けることは結構前から考えていた。
自分の境遇を生かせるような教育ジャーナリストになるために、家族を撮ることは必然とも考えたこともあった。


ここで前に作った映画の話を挟む。
学生ドキュメンタリー映画「911の子どもたちへ」の撮影が始まって、
映画を撮る、人を追うという仲間の隣で、最後のプロダクションノートを書くために必死で毎日記録をとった。

「911の子どもたちへ」予告編



「911~」の撮影のクランクアップは、遺族の白鳥さんの取材だった。
白鳥晴弘さんは、息子の敦さんを9.11で亡くされた。
敦さんはあの当時、ツインタワーにいたと言われている。

宣伝プロデューサーとしての大仕事の一つであるプロダクションノート。
その一部でこういうことを書いた。

クランクアップは年が明けて2010年1月8日、日本人遺族の白鳥晴弘さんと監督の対談。藤田幸久議員のご縁により実現した対談では、1年前には想像もつかない画がそこに生まれました。本編にはありませんが、実は、別の日本人遺族の方に取材をお願いしたことがあります。しかし「見ず知らずの人にそう簡単に話せるわけがない」と断わられ、監督が数日間落ち込んでいるという場面もありました。よくよく考えてみると当たり前のことかもしれません。「相手の気持ちになっているつもりだったけど、それは『つもり』でしかなかった…」と言っていた監督がとても印象的で、同時に彼の心の変化を見た瞬間でもありました。
それでも遺族の方に話を聞きたいと思い、私たちは白鳥さんに交渉しました。遺族として、過去の悲しみについて見ず知らずの人に話をしたいはずがありません。それにもかかわらず、白鳥さんは亡くなられた息子さんの写真や、実際にアフガニスタンで行っている支援活動の写真などを見せてくださり、それらに対する想いを聞かせてくださいました。その後、監督が日記に書いていたことを一部転載します。
「9.11事件で息子さんを亡くされた白鳥さんを撮影したあと、なんだか空っぽになりました 。日本政府が今も何もしていないのにも関わらず、息子さんの突然の死を受け止めてアフガニスタンの子どもたちのために支援をはじめた白鳥さん 。今も変わらない息子さんへの思いには胸が締め付けられた。クランクアップにも関わらず全く喜べず、何とも言えない気持ちになる。」
9.11事件やイラク戦争についてほぼ無関心だった、ごく普通の大学生だった1年前の彼からは想像もつかないような言葉。このような彼の葛藤も、この映画からにじみ出ていることでしょう。


カメラを向けていた当時の武長直輝は、明らかに見た目は世間知らず(私も人のこと言えないけど)の映画オタクなチャラチャラした(見た目的な意味で)やつだ。(たけちゃんごめん!w)
政治にも関心がなかった。社会にも関心がなかった。そんなやつがこんなことを書いたという事実。

人の生を追うということ。そして、そこから滲み、惑う人の生が、体温が、そこにはあった。
ドキュメンタリーの魅力を身体で感じた瞬間だった。
「その人にカメラを向けること、そして、カメラを持つその人の生も見えるドキュメンタリー」という観点ではこの2つの作品は同じだなと思う。
クランクアップで白鳥さんの姿よりも、武長があの日以降、悩み続けていた事のほうが、私は印象的だった。それくらい、ドキュメンタリーの力は大きいということだ。上映会打ち上げのお酒は美味しくなかった。

私も身近に人を亡くしたあとだったので、より一層強く染み込んだ感覚だった。

私たち自身もドキュメンタリーを公開することで、新しい議論が生まれる。批判もあって当然だった。
でも、そもそも生まれなかった議論を生み出したという意味で、私たちは成果があったと思っている。
ドキュメンタリーの、そういう可能性を想い、私は家族にカメラを向けるかどうするかを考えた。

でも、ドキュメンタリーにはある種のデメリットがあった。
点で終わってしまうということだ。

人の生がある1点で終わってしまう。あのときカメラに収めた貴重なシーンも
カメラを向ける人の想いも、1つの作品として、完結してしまうのだ。
テープは何十本となり、何度も話し合い、みんなで悩んで意見をぶつけて喧嘩したこともそう。
それは永遠に続く、長い長い螺旋階段のようだった。
なのに、80分という、線のような点に収まってしまい、ここに次の螺旋はない。

そして、カメラを持つ「当事者」という人の発信による、その人への共感だけじゃ、私は満足できないんだとも感じた。
共感だけじゃ、次のステップにはいけない。

更に言うと、この映画を伝え続ける人がいない限り、広がらない。そこに仕組みを作ることは難しかった。
私達が人生をかけてこの映画を発信し続けるわけにはそもそもいかなかった。
この映画の場合はさらに、学生という強みを活かして宣伝をする仕組みではあったが、さらにその強みは弱みにもなる。
―私たちはいずれ学生ではなくなるのだから。

私は、紙縒りのように紡ぐようでもいいから、紡いで紡いでゆきたいと思った。
そこに、映画という手法は、私は合わないと思った。
そのかわり、「私が良いと思う場」を紡ぐ。それを生み出すためにまずは「研究する」という案が最浮上した。
これが大学院進学の決め手になった。
大学3年の時に真剣に考えた「大学院」という道を通った先の未来のプランを改めて考えときに、「就活はない。」と思って、4月に就活をやめた。螺旋のように、人を追うために。
そして今に至る。

私は確かに、兄弟児という「当事者」なのかもしれないが、その共感だけじゃだめだというプレッシャーのもとに研究をしている。
「あなたのお兄ちゃんと弟が、自閉症・知的障害者だから、社会的に価値がある。」そう思わるだけならば、それはそれで駄目だと思っている。
私がそういう家庭に育ったからこその経験の目を活かす。そのつもりで研究をしている。
そういう意味で、いろんな場所で起こっている交流及び共同学習の授業やワークショップで、何が行われているのか、何が起こっているのか、私は知る必要があるのだ。

何が起こっているかをもっともっと深く知るためには、カメラだけじゃ、見えてこない。
インタビューだけじゃ、見えてこない。
もう1ステップが、私には必要なのだ。


だから、わたしは、映画を撮らない。



だから、「ちづる」には感謝をしています。
こういう人がいるってことは、少なくとも私は、兄弟として励みになる。

長くなりましたが、みなさんも是非ご覧になって下さい。
ポレポレ東中野で今月は上映しているみたいです。

こんなことを、家に帰ってから考えていた。
まだまだ理由はありそうだし、考えは止まらないので、これが全てではないのでよろしくおねがいしますね。

あー大学院の課題がたくさんあるのに…研究ももっと進めねば!
つまり、がんばらないとね、私。ということ。

ちょっと人生が面白くなってきた感があるので、改めて考えてみました。

追記
怪しい映画でしたが笑 「911の子どもたちへ」予告編動画入れてみました。懐かしいなあ。

2011/11/18

アート活動の可能性:Art×Activity×Workshop



久々にブログを更新したくなったのでします!ご無沙汰しております!笑

先日研究室のブログで自分の研究活動や生活についてちょっと触れました。
山内研究室Blog「一緒に暮らす。」
 http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2011/11/post_340.html

せっかくなので、現状の研究にいたるまでのことを、新しい視点で捉えてみようかなと思います。

単刀直入に言って、アートなもの大好きです!という話をします。笑
研究の話じゃない…と思われるかもしれませんが、実は研究とちょっと関連するのでよかったら読んでくださいな。


私は大きな枠組でいうと「Inclusive Education」について研究していて
もっと小さな捉え方をすると「障害のある子どもとない子どもが一緒に学び合うための学習環境デザイン」について研究しています。
そしてこの2年間は空間・活動・共同体の中の「活動」に注目して研究を進める予定です。

誤解を生じる表現になってしまうかもしれませんが、日本ではInclusive Educationに近い実践を「交流及び共同学習」と捉えられることが多いです。

私は学校内で行われている従来の「交流及び共同学習」は正直つまらないものが多いと思っています。

学校内で準備された中で、他校(いわゆる特別支援学校)の子や、特別学級に所属する子がときどきクラスにやってきて、うわっつらに関わりあうという場面を何度も見てきた。
でも、それはある場所で行われると、驚くほどにその風景はとても魅力的なものに変化しました。


私が小学校(低学年くらい)のころ、私の母親と、兄弟が通っていた養護学校に子どもを通わせていた親御さんたちが、養護学校や、市内小学校の特別学級に通う子どもたちの、夏休みの学びと活動の場として「ひよこサマースクール」という活動を始めました。
一時期は市の予算で活動が支援されるところまで至ったくらい、今振り返って思うに、とても大きなアクションを母親たちは起こしていたんだなと思うのです。(ちなみに現在は障害者自立支援法施行により、予算が降りなくなったそうです)
今となっては名称も変わり、運営主体も変わりましたが、今でも活動そのものは続いています。
私が10歳にもなってない頃から始まってますから、15年くらいでしょうか。こうして考えると長いですよね。

その「ひよこサマースクール」ではどのような活動が行われていたかというと…

■運営のひみつ

1.子どものファイル
ひよこサマースクールに参加する児童生徒(小中学生)の親御さんは、事前に自分の子どもの特徴を書いた紙を提出します。嗜好性や障害の状況、得意なこと、苦手なことなど、たくさんのことが書いてあります。
一人でトイレに行けない、子どものこだわり、癇癪を起こしてしまった時の対処法などなど…

夏休みの平日のほとんど、このサマースクールは開催されているため、毎日同じボランティアがついてくれるとは限りません。
なので、親御さんが書いてくれたファイルの情報を事前にチェックして、今日会う子どもとのふれ合い方を準備してもらうのです。
活動が終わったら、ボランティアが個人の報告書を書き、全体でボランティアの反省会を行い終了です。
ボランティアが書いた報告書は、先ほどの子どもの個人ファイルにどんどんファイリングされるので、次の担当につくボランティアが、前回自分の担当の子どもがどんな活動をしたか、調子はどうだったかなどをを確認できるようになっています。
親御さんとボランティアが作るポートフォリオのようなものでしょうか。

2.ボランティア
ボランティアは養護学校の先生や、市内の学校の先生、それと高校生が主です。
あとは大学生・専門学校生がたまに(佐伯市に大学がないのでこれは滅多にいない)
高校生もとなり町の福祉科のある高校の生徒を始め、多岐にわたります。

■アクティビティ

*全体の流れ
夏休みの期間中、ボランティアに支えられながら、様々な障害のある子どもたちが活動を行います。
午前中はまずみんなで点呼。そのあと歌遊びなどが入り、プールで自由遊び。
お昼ごはんを食べて、午後は日によって何かのアクティビティを行う。そして夕方までには全ての活動が終わり、親御さんが迎えに来ます。
親御さんには今日1日の様子をボランティアはお伝えします。
また、週末土曜日は、ときどきお出かけをすることもあります。

*アクティビティの工夫
平日のアクティビティは、毎日違うものでした。
小麦粉粘土で遊んだり、大きな紙1枚にみんなでお絵かきをしたり、ムーブメント活動を行ったり、即興演奏をやったりなどなど、みんながのびのびと活動できるようなものを行います。
これ、全員楽しそうなんですよね。
私も小学校の時は「兄弟児」として一緒に活動に混ぜてもらったことはありますが、どうしてだか、楽しいんですよ。障害とかどうでもよくなる不思議な感覚が気づいたら芽生えているんですね。
これは兄弟だったから慣れからくるものなのかもしれませんが、それでも養護学校の授業参観にあそびにいく感覚や、家での感覚とは明らかに違うものでした。

さらに言うと、活動内容や、その活動の周縁でサポートしてくれる大人や「ナナメの関係」のような人たちの雰囲気で、その関わる時間は何倍にも楽しくなり、気づけばすとんと人生に色濃く何かを残してくれる経験として、その記憶が関わり続けるんですよね。
いろいろなNPOが芸術活動を通して、障害のある子もない子も関係なくワークショップを行う現場が少しずつ増えてきましたが、そこにも強く関連するのではと思います。

そして、改めてひよこでの活動が生きるなと感じているのは、まさに今、私は研究としてそういうアクティビティを追求しているからです。
そこで何が起こっているのか、とても興味深い。

しかもアート系活動って、活動そのものを行なっている間も、出来上がった作品も、誰かと繋がるメディアになるなと実感するのです。


■アートへの興味
アートアートと素人のくせに言い続けていますが(笑)

実は大学生生活後半に入るまで、アートというものにむしろ距離を置いていました。
高校生の時、書道部だったので「漢字かな混じり文」という作品をよく書いていたのですが(相田みつをみたいなイメージかな)
その延長で、書道だけ、ちょっとアートな雰囲気を意識して、人に言葉を書いてプレゼントしたりしていたんです。でもそれだけ。

なぜアートとの距離感があったのか。それは「アート」に対するつきあいかたがわからなかったから。
敷居が高かったんですよね。同じ事を思っている(思っていた)人は多くいるはずだと思うのです。

その捉え方を変えてくれたキッカケは、ニューヨーク一人旅でした。

 

 

多分MoonPalaceに泊まって、だいちゃんをはじめ、いろんなアーティスティックな人たちに出会って、書道の道具を持って行ってた私とコラボしてアーティスティックな遊びをしたり、街中でアートなものに触れていくなかで、私とアートの間の距離感が縮まってきました。

最低限のお金しか持っていかなかったことと(クレジットカードを当時持つことを断固として親が認めてくれなかったため。かなりの貧乏旅行)、9.11の映画製作のためにグラウンドゼロを訪問する予定などもあったため、美術館のことなんて全然考えてなかったんですが
ニューヨークでの後半の生活で、美術館等に行かなかったことをかなり後悔しました。(まあいつかまた行くんだけど)

アート市場そのものについても、これを機にいろいろと知識を得たり、海外の事情についても関係者から話を聞く機会が多くなりました。

そして、「アート」は人の距離を詰めるのか!という気付きを得たのもこの旅でした。


夏休みにたんぽぽの家を訪問させていただいたときもそうでした。
たんぽぽの家 http://popo.or.jp/index.html





















その「アーティスト」が描いた絵、作った作品について相手が語ってくれる。語りの中には作品にまつわるその人の姿がよく見えるんですね。そのコミュニケーションを取る中で、その人の為人はもちろんのこと、目の前の作品についても深く考えるんです。
まさに、平野さんがやっている「対話型鑑賞」に近いものを(勝手に)感じています。

平野智紀さんブログ:McMaster Blog http://blog.livedoor.jp/mcmaster/

*宣伝ですが、平野さんがファシリテーターを務めるイベントがまた行われますよ!
11/27(日) ミューぽんユーザー限定企画第三弾!!
対話型鑑賞 in 東京都現代美術館
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2011/11/mupon-in-mot.html


たんぽぽの家が関わっているワークショップの話を聞いていても、彼らが作る作品も、作っているその様子も、不思議なものがあるんですよね。あれ、なんなんですかね。
上手い下手とかそういうことでなくて、少なくとも人の手から生まれるもの、生み出しているその状況、何かあるなと思ったんです。


■学びの原風景
ひよこの話に戻りますが、あの活動で私自身はどういう関わり方をしていたのかというと、
小学校の時は「兄弟児」として混ぜてもらい
中学校の時は「ボランティアやりたい!」とせがみつつも「高校生からだからだめ!」と怒られ(とはいえ平日は毎日ソフトボールしてたので参加できなかったのですが)
高校生になって、1,2年次は平日の活動にほぼ毎日参加しました。

あのときに、自分の兄弟以外の子について知ることができた、しかもそれはとても「ナチュラルでプレイフルに!」というなんともふわふわ感じでしか表現できないのですが(笑)。
アーティスティックな活動にフロー状態になりつつ、みんなで作ったからなお嬉しく楽しい。

作っている間に感じる、目に見えない連帯感みたいなものと、出来上がった時にも持続する連帯感、さらにはこの出来上がったものをキッカケにして生まれる言語的・非言語的コミュニケーション
学校での「交流及び共同学習」とは違う楽しさや面白さが絶対そこにあった。
ここに何か秘密がある気がするんですよね。

ずっとひよこサマースクールの近くにいて、小学校のころも、あの場に自分のクラスの子がいたら、もっと面白いのになとふと思ったりもしました。

その後、美術館にはよく足を運ぶ用になりました。美術館だけでなく、街の見方も確実に変わりました。

気づいたら、アートな活動と、学びの原風景が気づいたら距離を縮めてきて、私の研究になろうとしている気がしています。
経験は必ずどこかで縺れ合い、新しい糸を生み出すのだなと感じています。
そしてその糸がまた別の糸と紡いでゆくのでしょう。とても素敵なことだなと。

そして、私は様々なアート活動を通して、多くの人と関わり、コミュニケーションをしていたんだなと思うのです。

ちなみに私の所属する東京大学大学院学際情報学府の同期のお友だちたちもメディアアートの展示会を行います!
しかもテーマはまさに"Re:"―対話ということで、私も行こうと思ってます!楽しみ!


*東京大学制作展"iii Exhibition" http://www.iiiexhibition.com/
Twitterアカウント http://twitter.com/#!/iiiEx

開催日時2011年12月2日(金)〜
2011年12月7日(水)
11:00−19:00
入場料無料
会場東京大学本郷キャンパス
工学部2号館2階展示室・
2階フォラム(中庭)

そろそろ寒さが強くなって来ましたが、寒い季節の対話は温かくしてくれますよね。
楽しいおしゃべりと、アートはいかがですか。
個人的にはロイヤルミルクティーも欲しい。


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2011/10/09

『共感するイノベーション インクルーシブデザイン -10年の歩み』展 に行ってきた


見に行ってきたもの報告。

『共感するイノベーション インクルーシブデザイン -10年の歩み』展
に行ってきました。


主催:インクルーシブデザイン研究所 http://www.inclusive-d.net/




■ インクルーシブデザインとは
これまでデザインのメインターゲットから除外(エクスクルード: exclude)されてきた人々を、積極的にデザインプロセスの上流工程へ包含(インクルード: include)し、かつ、ビジネスとして成り立つデザインを目指す考え方です。 
ユニバーサルデザインが、障害者や高齢者に標準をあわせながら、全ての人にとって利用可能な、製品や環境を想定しているのに対し、インクルーシブデザインは、年齢、ジェンダー、障がいに関係なく、すべての人々を含むデザインのプロセスとして区別されます。

と、HPからの引用なのですが、こうあるように、「インクルーシブデザイン」は「ユニバーサルデザイン」と区別するように生まれてきた概念です。
障害のあるとかないとかいう以前に、世の中には「あらゆる人たち」がいて、どんな人にも使いやすいデザインを考えるというもの。

なぜかへるめ( @herume) と フナエくん(@i_ship_pro)と行ってきた。
というわけで忘れないうちに感想を。



■インクルーシブデザインの中にあるアイデアの可能性

先日のワークショップを思い出させるようなアイデアがたくさんありました。
*この2つは先日の8月の授業でのミニワーク中にアイデアとして出てきたものにとても近くてびっくりした。見に行ってみてくださいな。
・牛乳パックのデザイン「ミルクマン」
「ホースは折れると水が流れてこない」という発想から生まれたもの。
・植木鉢?の側面が鏡になっていて、周りの景色がそれに写るという金属のデザイン

あと他にも面白いなと思ったのでメモ。
・ボタンを選べるリモコン
レゴみたいに組み立てられそうで、使うだけで楽しそう!
・見えない人でも服の色の違いをみわけるためのタグ
そのタグを別の機械が読み取ってくれるもの。(だったはず)
・手の力が入りづらい人のためのなべの取っ手のデザイン
これ、普通に子どもも使いやすいし可愛かった。
・片手でつけられる絆創膏
・黒板型のデザインのタブレット
チョークみたいなペンで、文字を書くとその線もチョークみたいになっていて、データはケータイとやりとり可能となっている。

誰にでも使えそうかつ見た目がかっこいい・かわいくて見ていて楽しい。
あと、どんな企業が関わってやっているのかというのもおもしろいと思います。
タダだし、デザインとか好きな人は行ってみるといいと思います。


■インクルーシブデザインは触ってわかるもの。

「10年の歩み」という訳で、これまでデザインされてきたものが年代に沿って説明するように並べられています。

とはいえ、歴史をたどっているだけの印象を持ったので、ちょっともったいなかったなぁと思いました。
へるめもフナエくんが「(モノができあがる)プロセスもっと見たかったなぁ」と言っていたのも印象的だったのだけど、多分それは、展示が歴史をたどっているにとどまっている(印象だっただけなのかもしれないけど)からなのかも、と思いました。

インクルーシブデザインされたプロダクトが実際展示されているのですが、実際に触ることができないのも残念。
なんで触っちゃいけないのかわからないのですが(不完全なものだったのかな?)
でも、こういう展示は手にとって見るからこそ「良さ」というものはわかる気がします。

あと、PCに映像が流れていたのですが、音声が聞こえにくいのがちょっと残念。
インクルーシブの展示をするなら、PCのほうも、うまく字幕つけたりとか、なんかできたよなぁと思ってしまいました。うぬぬ。


■インクルーシブデザインによる、コミュニケーションデザイン

こうして「これいいよね」「あれおもしろいよね」「これ使ってみたい」と思わせるデザインプロダクトってのは、もしかしたらこういう「 」から始まるコミュニケーションの、そもそものキッカケを生み出しているのかもなぁと感じました。

それに、これらのデザインが、例えば見えない人、手が不自由な人の役に「」立ったりするのだろうけど、このデザインが全てそういう人たちのことを100%サポートしてくれるわけではない。結局そこにはリアルに人が関わる必要はある。なぜなら絶対に番人のためのデザインなんて、ありえないから。
デザインで全てが解決できるのなら、世の中の問題は全て解決できるってことなのだと思いますしね。

誰しも誰かに手を貸してもらったり、そもそもモノを楽しく使う中で生まれる会話もあったりする。
福祉の側面から言うと「誰かのために」しなきゃという気持ちが働いてしまう。「支援しなきゃ」の気持ちが先に働くような相手の見方はしたくないなぁと思うのです。
一緒に使って、「これいいね」って楽しみながら使いたい。
そのキッカケとなりうるモノ。
楽しいコミュニケーションを生み出す、インクルーシブデザインプロダクトなのかもしれないです。

ちなみに「も」言ったのは、このデザインは『ともに』のデザインだからです。

インクルーシブデザイン、よかったらぜひ見に行ってください!*

★おまけ
BLACOWS、前からめっちゃ気になってたバーガー屋さんだったので、念願叶ってきました♪高いけど!
バーガー屋食べ歩きしてたの懐かしいなぁ。誰か行きましょう!


2011/10/08

Summer Study Tour 2011(1)−Communication Design

先日から後期がスタートしました。
日本女子大学時代は「前期・後期」と読んでいたけれど、東大に来てから「夏学期・冬学期」という言い方をするのですが、まだ馴染めず、未だに後期と言ってしまうあたり、まだまだ在学意識が低いです。笑

夏休みはいろいろな現場を見せてもらいました。研究者の卵としての濃い夏休みだった気がします。


●8月
*京都出張1
1〜3日:京都大学塩瀬隆之先生のインクルーシブデザインワークショップの集中講義@京都精華大学
4日:大川センター見学
5日:たんぽぽの家の見学 http://popo.or.jp/
7日:京都総合博物館にて「夏休み体験EXPO2011 夏」:触った印象を絵に描いてみよう!ワークショップの見学

7月30日〜8月13日はSoclaの期間だったため、Facebookとにらめっこ。
17日:EduceCafe
25日:コクヨさんに、白梅学園大学のワークショップ実践について伺う

●9月
(8月31日)〜9月2日:京都出張その2
3日:BEATセミナー
6日:経営学習論(中原先生)最終発表会
9日:CAMP10周年パーティー参加
10日:ファッションコラージュワークショップ実践
13日:学校現場見学
17〜19日:日本教育工学会@首都大学東京
26〜28日:ALT夏合宿@軽井沢
30日:研究法Ⅲ(山内先生・水越先生)ワークショップ実践報告会


8月上旬の京都の旅は、基本的にひとり。
舘野さんが「日常を異化する」とご自身のブログで書いてあったけど
本当にそうで、日常と非日常の境目をうろうろしている1週間でした。


今回の記事は、京都出張1について。
その中の、塩瀬隆之先生による、京都精華大学での授業見学(というよりも参加)について更新します。



●京都精華大学*創造領域特論2

塩瀬先生に呼んでいただいた授業。早朝塩瀬先生と国際会館駅で待ち合わせ。

京都精華大学はとってもスタイリッシュな大学。
はっきり言って美大。






基本的に建物はスタイリッシュ。
学生課や教務課が一緒のフロアになっていたのにはびっくり。
そしてその大学職員さんのフロアだけでなく、ラウンジなどの主要な部屋はガラス張りでした。


階段も青とかピンクの壁になっていてかっこ良かった。
ここのフォントも個性的でした。アップで写真撮るのを忘れてしまったことが悔やまれますが…



















左の写真が食堂で撮ったもの。美術系の大学らしいサークルやイベントのフライヤーなどが

壁にたくさん貼られていました。


右の写真が食堂の上にあるカフェ。
隣にFamily Martもあります。
ちなみに左の後ろ姿が塩瀬先生。笑

実はこの日、オープンキャンパスで
キャンパス内は高校生らしき子がたくさん来ていました。
そのためかとても賑やかで
学生スタッフや職員さんがおそろいのTシャツを来ていました。



さて、創造領域特論2という授業。大学院生向けの授業です。
サブタイトルが「コミュニケーションデザイン」という名の通り、
塩瀬先生は、「コミュニケーション」というものを様々な角度から考えさせていくような授業を展開します。


1日目は基本的に講義が主。「コミュニケーションデザインとは何か」ということを、様々な切り口で考えていきます。
とはいえ朝から夕方までずっと座っているわけではなく、ミニワークを入れながら講義を進めていきました。
塩瀬先生の「コミュニケーションデザイン論」の話や、創造的なディスカッションをするためのワーク、そこにまつわるちょっとした理論や、具体的な手法を、手を動かし頭を動かし、しゃべりながら進めていきます。


2日目がこの講義のメイン。
見えない学生さんが3名来ていて(みんな大学生)、彼らをグループに巻き込んでワークショップ。
いわゆる「インクルーシブデザインワークショップ」に参加。
このワークショップでは、基本的に「ユーザをデザインプロセスに巻き込むこと」が目的です。
しかし、「ユーザー」といえども多様なユーザーがいる。
ここでは「3人の見えない人」と「私たち大学院生」もユーザーであるという前提でアイデアを考えていきます。


今回のテーマは「記憶法・発想法」
記憶すること、アイデアの発想を支援するようなものをカンガエルということが、今回のワークショップの目的です。



メンバーが揃った後、目の見えないユーザーへのインタビューを中心に、アイデアをみんなで考えていきます。
塩瀬先生は基本的にブレインストーミングをするよう促します。この3日間でたくさんのポストイットを使いました。

そのあと、プロトタイピングを行い、演劇のような形でプレゼンテーションを行なって終了です。


プレゼンは、急遽大学の職員さんに来てもらい、そこで順位付けをしてもらいました。
私たちの班で考えたアイデアは「PicNavi」という携帯電話のサービス。

同じ班の、見えないHくんは、iPhoneなどのスマートフォンの利用は困難という話をしてくれました。
いわゆる「ガラケー」のボタンのほうが、どこになんのボタンがあるか、手で触ってわかるから。
どのボタンを押したのか、どんな変換ができるのかは、音声を聞けるように設定してあるので、見えない人にとってはガラケーのほうが「スマート」だということが判明しました。
実際に見える私達も、ガラケーが特別不便というわけではない。

その後、私たちは「記憶する」ということとガラケーの利便性を考え、
ケータイのナビ機能に注目して考えていくことになりました。

ちなみにPicNaviの機能について簡単に説明すると…
街中に出たとき、セカイカメラの要領で目的地までを案内してくれる。
ケータイが人間の存在をリアルタイムで感知するので、人混みも歩ける。

音声は街中の音とケータイの音が両方聞けるよう、骨振動で伝える。

実際にリアルタイムのナビゲートは見える人にとっても便利である。見えない人がこれをを使って道を聞いてきても、見えない人が意図している情報がケータイの画面に映っているため、コミュニケーションの媒体にもなる。それぞれにも便利だし、繋ぐこともできる、というもの。


ちなみにこのアイデアは、3チームの中で1番の評価をいただきました。
でも、私達が伝えたかった「誰にでも使える」という部分が上手に伝わりませんでした。
プレゼンの時「見えない人にとって便利」という風に伝わってしまったことが問題だったという話になります。


3日目は、2日目の実践の評価をし、
バリアフリーデザイン、ユニバーサルデザインとの違いについて考えたり、メジャーからマイナーまで様々なユーザの声をデザイン活動に反映させる創造的ディスカッションの手法を体験したりし、ミニワーク多めの授業となりました。
コミュニケーションデザインやインクルーシブデザインワークショップなどを「Creativity 創造性」という概念にまで広げて考えていき、3日間の集中講義が終わりました。


今回の授業では、
「社会問題を解決できるようなコミュニケーションデザインを自ら起案する具体的方法を習得できる。」
というインクルーシブデザインワークショップの可能性について体得できたことなのではと感じています。

インクルーシブデザインワークショップについてもう少し触れると「生気がなくなるほど頭を使った」というものが、正直な感想です。

見えない人と関わったことがないわけではないですが、ワークショップで関わったからこそ見える、「咬み合わないこと」を身体で感じられたことが、今回のワークショップの魅力の1つなのかなと思います。
ましてや、京都精華大学にもアジアの留学生が多く、今回も4分の1くらいは中国・韓国などの国籍の学生さんがいました。
例えば顔なじみの人であれば、まだワークを行いやすいと思うのですが、初対面の人とのグループワーク、しかも外国人も含む状態。
学生さん同士、専攻も学年もバラバラのため、意見をすりあわせたり、議論を活発にすることは難しかった。
基本的にグループワークに不慣れな学生さんが概ね多かった印象もありました。

ただ、3日間のワークを経て、最後にはほぼ全員がよく意見を言っていたように見えました。
議論が明らかに活発になっていき、楽しそうに関わっていく姿が見受けられました。
また、意外と人との繋がりが生まれた3日間でもありました。

そして、この授業そのものが「インクルーシブデザインワークショップ」だったように思います。
これから「さまざまなバックグラウンドを持つ人とのコミュニケーションデザイン」を考えていく必要性も感じたので、このワークショップの可能性は大きいなと思います。



こうして「かみかわないこと」をかみあわせるような「1つのアイデア」に落としこむことって、想像以上に難しい。
これ1つでかなり楽しいのですが、工夫しがいのあるワークショップだと思います。
わたしもこの手法をもっとアレンジして、自分なりに実践をやってみたいなと感じています。

そもそも見えない人とのコミュニケーションをこれほど意識することはなかったなと、振り返ってみて感じています。

想像だけじゃわからない、話を聴くだけじゃわからない。
「車椅子を日常生活で使っている人はきっとこうしたら便利『だろう』な」
「見えない人にはこうしたほうがいい『だろう』な」
というデザインが、街中には溢れているんですね。

これは障害のある人に限らず、直接人(ここではユーザー)と関わることで、「本当に『これを使う相手』を知る」ことがスタートとなり、デザインをしていく。
それが「ユニバーサルデザイン」でなく「インクルーシブデザイン」であり、求められていくものなのでしょうね。

最後に、塩瀬先生が散々おっしゃっていた「アイデアをだす3つのポイント」について記しておきます。
この詳しい話は、またいつか。

・ブルースカイ:限界を考えない状態で考える
・マルチプルシナリオ:いろんな文脈でひろっていく→ユーザーを広げる
・クイック&ダーティー:汚くていいから(プロトタイプを)速く作る!

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